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コムサではビートルズが流れてる

最近フジテレビの放送が韓国に偏ってるというのが問題になってるらしい(知らんかった)。
それも発端が俳優の高岡なんとかのツイッターだっていうんだから、なんつーか悪い冗談みたいだ。

まず、最近芸能人のツイッターやブログでの発言が物議を醸すことが多い。これはどういうことかっていうと、芸能人も一般の人と同じにストレスもあるし思う事があるってことだと思う。サラリーマンやOLや女子高生がブログで原発反対って言うのと同じでしょ。別にヤクやってハイになってるからついつい書いちゃったとかいうわけじゃあなく、ほんの一日の流れで発言しただけだよ。ただ彼らは背負ってるものが違う。そこが問題なんだけどさ。
芸能人には影響力がある。どう見てもバカにしか思えない奴でもテキトーなことぬかせばそれにホイホイくっついていくマヌケがたくさん出てくる。そうすると、芸能事務所は世話になってるテレビ局に気を遣わなくてはならないと判断する。これは体質が古いせいもあるんだけどね。けじめつけなきゃって勝手に思うようになってるし、逆につけなきゃやっぱり汚点として残るからどうしてもマイナスに働く。そうなると事務所の俳優は使われなくなるし、もちろん事務所自体も危機に追い込まれる。テレビはスターなんか作ろうと思えば簡単に作れるから、高岡なんとかって俳優の価値なんか彼らにしてみれば皆無に等しい。事務所にしたって、食えなくなるよりは良い。だから首になるのは当然だ。

って、これはもう随分前の話なのね。今はデモが起こったらしい(ヤフーニュース)。何が問題なのかっていうと、その高岡なんとかが言ったのは
「フジは韓国のドラマばっかやってる。ここは日本なんだから韓国のテレビなんかやめろ」
という感じ。まずわしがわからないのが、アメリカの映画や音楽は良いのかということ。それと、彼自身ニューヨークで講演してたみたいだが、それも問題ないのかということ。それと、韓国の放送を強制的に見せられているのかということ。どうなのかなあ、ホントにわからない。だってテレビは自分でチャンネル変えれるから、見たくなければまわせばいい。別に韓国人になりたい人が見てるってわけじゃないわけだし。デパート行けば洋楽が流れまくってるし、コムサ行けばビートルズ流れてるけど、別にイギリス人になりたくなったりするわけでもないし、聞いたからって騎士道精神が身につくでもない。海外に自分が行くのはいいのかな? 日本の魂を持ってさえいれば? 日本の魂ってなんだ? 誇りを持つのは大事だけど、それと韓国のドラマにどんな繋がりがあるんだろう。そこが、映画で言う「説明不足」な点だ。

で、それに扇情されてデモ起こしてる奴はバカだわ。どうしようもない。アフガン零年じゃあないけど、救いようがないかもしれない。デモなら他に優先すべき対象があるだろうが。復興対策が遅れっぱなしの行政とか、セシウムさんってやったテレビとかさ。もうちょっとマシになってくれよ。ほんと、高岡なんとかの言うとおり、日本の未来が心配だわ。

でも怖いなあ。何も考えないバカがこうやって簡単に集まることができるんだから。エゴをほとんど持ってないから簡単に利用されるだろうし、集団になれば力も発揮する。韓国に乗っ取られるとかじゃなく、こいつらに蹂躙されそうだ。
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アフガン零年  本日傲慢注意報発令

アフガン零年
今日は『アフガン零年(Osama)』という映画を紹介しようと思います。2003年のアフガニスタン映画ですが、日本も絡んでます。たしかNHKが出資してると思った。ほんでもってゴールデングローブ外国語映画賞を受賞してます。カンヌでもカメラ・ドール(新人賞)を受賞してます。カンヌはこういう社会派に目がないので・・・。おっと、あまり突っ込まないようにしておこう。
ということで詳細は→goo映画(DVD是非観てね)


ストーリー
タリバン政権下のアフガニスタン。アフガンっ娘のオサマちゃんは12歳の女の子。ううん、12歳と言えばそろそろあんなことやこんなことが起こり始める年頃だよね! そんな多感な年頃なんだけど、お父さんを戦争で亡くしちゃってて、家には祖母ちゃんとママとオサマちゃんの3人しかいない。おまけに家は厳格なイスラム教だから女性が外出することもできないので、家族の働き手が一人もいない状況なのさ。このままじゃあ生活していけない。そこでママは考えた。オサマを男の子に変装させよう!
家族のため、そして自分が生きるために髪を切り、趣味じゃない男装までしたオサマ。そんなかわいそうなオサマはパパの戦友のもとでミルク売りの仕事につく。
「やべえ、タリバンに見つかったらぶち殺される。道を歩くだけでも周りの目が気になるし、お香屋の少年が接近してくるし、お祖母ちゃんはわけのわからんおまじない言って誤魔化そうとするし、日本じゃ女の子が男装して『花のイケメンパラダイス』とか言ってるし、全くわたしの苦労も知らないで!」
そんなある日、タリバンが強制的に町の少年を全員宗教学校に入れさせちゃう。もちろんオサマちゃんも男装してるもんだから連行されちゃう。ピンチだオサマちゃん! この局面をどう打開する!? そう思ってたらもっとピンチになってきた。全生徒が裸になって風呂に集合だよ。しかも性教育始めたよ。オサマちゃん、これはマジで絶体絶命の大ピンチだ! でも映画だもん、きっとヒーローが助けに来てくれる。お香屋の少年とか・・・。やがて周囲からも疑われ出す。お前女だろ? そしてかわいそうなオサマちゃん、井戸に吊るされちゃったよ。その時、股の間から血が! 12歳と言えばそろそろあんなことやこんなことが起こり始める年頃だよね。それがこんな時に。
続きはDVDで。


個人的感想
まず言っておきたいんだけど、わしは出来ることならみんな幸せになってほしいと思っている。それと、『地雷を踏んだらサヨウナラ』(過去記事)とか『未来を写した子どもたち』とかの関係で少し写真や途上国の本を読んだんだけど、いくら貧しかったって、いくらつらい境遇だって、決して不幸だというわけではないし、どんなに貧しくても、教育を受けていなくて小さい頃から働きづめでも、カメラを向ければ良い表情をする人はする。大都会で時間に追われ何もかも他人に支配されてる人やお金ばっかり追いかけてる人にだって同じことが言える。つまり他人を救いようのない境遇だと勝手に決めつけたり、その人が不幸でかわいそうだと、わしらが偉そうなこと言えるようなツラじゃあないってこと。それがまず大前提。
 それを踏まえて、この映画が次から次へと仕掛けてくる「かわいそうでしょ~」という演出をわしは個人的に嫌悪する。写実的にしろなんにしろである。写実的にするのならば、もっと家の中の場面を増やすべきだ。「タリバンの奴らは女の敵だし、この娘は女の楽しみを何も知らないでいる」というのがこの映画のメッセージである。言いたいことはわからないでもない。確かにタリバンのやり方はハッキリ言って間違っていると思う。女性が教育・労働・外出を禁じられるというのはどう考えても非常識だ。ホントあんまりだと思う。ただ、その女性が不幸かどうかの結論を映画で見せるのも行き過ぎだし、それを世間に広げたいというのならドキュメンタリーで撮ればいい。家に閉じこもってるからって全員暗い顔でただ息してるだけってわけでもないんだし。そこは作り手や観客の傲慢に繋がる。『私の中のあなた』(過去記事)でも似たようなこと書いたが、病気の娘が同じ病気の男の子といいムードになった時にふとお母さん視点になる、その危険性。観客がお母さん視点で観てしまった時に生じる病気の子への上から目線、イニシアティブ。病気の子にしてみれば、母親は別として、あんたなんかに見守られる筋合いはないぜ、ってことだ。
その視線は立場が変わった時、いとも簡単に崩壊するもんだ。自分が与えていたと思っていたら、そうじゃなくなった時。それが必要ないとわかった時、自分の救済とは関係なしに「救われた(あえてこの表現)」時、自分を否定されたと感じるケースも少なくない。それが憎しみやらに発展して・・・。そういうのはホント、面倒くさい。それに、そういう気持ちはほとんど一過性のものにすぎない。
だからこういう扇動映画を観るときは充分に気をつけなきゃならない。それでストーリー紹介をわざと上のように陽気に書いてみたのさ。

まあ、一応お香屋の少年が未来の体現なんだろうかね。でもそれじゃあ物語として甘いですよ。この映画の場合は未来の体現を女性にしないと。女性で物語が始まり、女性であるがゆえに苦しんでと、終始女性という立場が中心に展開していくのだからね。


まとめ
ちょっと言い方悪いかもだけど、優等生な作品だよね。『アイ・アム・サム』(過去記事)みたいだね。賞狙いだね。リベラルアピールだね。ひゅーまにずむダイスキ! NHKダイスキ! スモウダイスキ!
でも、観て損は絶対にない。こういった現状があったと少しでも知るチャンスになれば、それでいいのだし、それはすごい価値のあることだ。


アフガン零年  amazonです。
地雷を踏んだらサヨウナラ  amazonです。
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私の中のあなた  amazonです。
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theme : 映画感想
genre : 映画

トゥルー・グリット  復讐するは我にあり

もの凄いネタバレです。
まああんま気にしなくていいと思うんだけど一応。










トゥルー・グリット
先日『トゥルー・グリット(True Grit)』を観てきました。場所は苫小牧のディノスシネマで、ちょうど都合があったので平日の朝に行きました。にしてもお客が他に一人しかいない・・・。なんつーこった。コーエン兄弟の作品だってのに・・・。まあ平日の朝に行くってのがちょっとずれてるのか、ということにしておいて、この作品は1969年の映画『勇気ある追跡(True Grit)』と原作が同じです。ウィキペディアにはリメイクと書いてありますが、厳密に言うとそれは間違いです。コーエン兄弟がベースにしたのは映画の方じゃあなく、チャールズ・ポーティス著の原作の方です。『ぼくのエリ 200歳の少女』(過去記事)と『モールス』の関係と同じです。でもって主演は父を殺された少女マティにヘイリー・スタインフェルド、飲んだくれの保安官にジェフ・ブリッジス、犯人を追いかけるレンジャーにマット・デイモンです。しかも悪役にジョージ・W・ブッシュことジョシュ・ブローリン(映画『ブッシュ』にて)、ロバート・ケネディことバリー・ペッパー(ドラマ『ケネディ家の人びと』にて)という大物政治家というなんとも絶妙な配役をしてきています。これは観て損はありません。
詳しくは→goo映画(ネタバレなし)


わし的ストーリー
父親をチェイニーという男に殺された14歳の少女が復讐を果たすため、仲間を雇って追跡をする話。
さらに詳しく書くと、舞台は19世紀後半の西部開拓時代のアーカンソー州フォートスミス、そこで父親の死体を引き取りに少女がやってくる。冒頭に父親が撃たれるシーンが『勇気ある追跡』にはあるが、今作ではそれがなく、「悪しき者は追われなくとも逃げる」というテロップが入る。つまり父親を撃った奴が追われるということだ。
そんで裁判のシーン。片目でダミ声のコグバーン保安官が、たくさんの罪人を不意打ちして殺してると責められてる。人数も覚えてない程殺してる。それぐらい無茶苦茶な奴だという。彼こそまさに「トゥルー・グリット(100%勇気)」の持ち主だ、と少女はその男を金で雇う。そしてかっちょ良いライフル(カービン銃)を持ったレンジャーのラビーフも加わり、父を殺した男チェイニー追跡の準備をする。だがチェイニーは単独ではないという。大物ネッドとグルなはずだ。
 いざ、三人で行こうとするが、少女は足手まといになるからと二人に置いていかれる。これから向かう先はインディアン居住区、法もクソもベッドも水も食い物もないという。それでもマティは行く。決心は固い(「トゥルー・グリット」の持ち主という描写)。そんな頑固なマティにラビーフは腹を立てお尻ペンペンする。コグバーンはそんなラビーフに腹を立て、両者は対立し結局ラビーフは単独で追跡することになる。
 二人で森の中を進むわけだが、コグバーンはひたすら自分の身の上話をしている。「俺ぁ昔は南部でゲリラやっててよぉ、無茶しまくりだったぜぇ」 とか 「俺ぁには有力な知り合いがいてなぁ、そいつから慕われてよぉ」 みたいな話を延々としている。そんな悪い事ばっかしてるから片目を失うんだ。因果応報ってやつだ。まあ、酔っ払いの自慢話だと左へ受け流してるが・・・。途中で死体が木の上に吊るされていた。やれやれ、『奴らを高く吊るせ!』じゃあないんだから(ら、じゃあないが)。チェイニーかもしれないからと木に登って確認したが違った。その死体を地上に落とす。通り過ぎのクマの皮を被ったモグリの歯医者さんが遺体を欲しいと言うので、犯人の情報と交換をした。なんだろう、ホントに無法地帯にやってきたってその時に強く感じた。
 この先は困難の連続になる。一軒家でネッド一味を待ち伏せしたときは、コグバーンがラビーフを誤射したりもした。それでも悪者をとっちめていくコグバーン、やはりこの男は優秀なのかもしれない。ラビーフはかっちょ良い銃を持ってはいるが、どうも小心者な感じ。それでも同じ敵を持つ者同士、三人で行動することになったんだけど、また喧嘩してすぐに別れた。コグバーンのひどい酒癖に小言を言うラビーフと、ラビーフが隠そうとしてる臆病な面を引っ張り出そうとするコグバーン。これじゃあいつまでたってもうまくいかないわな。
 ある朝、マティは酔っぱらったコグバーンを置いて川に水を汲みに行くとそこに偶然チェイニーがいた。もちろん撃ったが、仕留め損ねていると逆に捕まってしまいそのままネッド一味のところまで連れ去られてしまった。銃声を聞いたコグバーンが大声でネッドと交渉する。ネッド一味はコグバーンを多勢で襲う気だ。チェイニーを見張りに残し、他の仲間でコグバーンと対決に向かった。広い荒野、相手4人にコグバーン1人が対峙してるのが見下ろせる。その時、ラビーフがチェイニーを倒した。そしてかっちょ良いライフルを構え、コグバーンが対峙してる荒野に銃口を向け、「一時溶接」の態勢をとった(『極大射程』より)。距離にして300メートル。狙いを定めていると、コグバーンが突っ込んでいった。次々と敵を撃ち殺していくが、ネッドを仕留めきれず、逆に馬の下敷きになってしまった。ネッドがじっくりと馬から下りてコグバーンの前に立つと、瞬間ラビーフのカービン銃が火を噴いた。崩れ落ちるネッドを見て、コグバーンは生き延びたことを確信した。臆病を隠していたラビーフが、ここ一番で見せ場をつくった、カッコイイ! 次の瞬間、ラビーフの頭に鈍い音を立てて石がめり込んだ。チェイニーが生きていたのだ。とっさにラビーフの銃で父の敵を撃った。奴が吹っ飛ぶのを確認する前に、自分が反動で後方に吹っ飛んだ。もっと最悪な事に、その先は蛇の穴という洞窟だった。
 マティは敵を討った瞬間に穴に真っ逆さまに落っこちた。しかもそこには白骨化した死体と、毒蛇ちゃんがいる。ラビーフを呼んでも返事がない。死んだのかも知れない。毒蛇に腕を噛まれた。こりゃアカンもうだめかと思ってるとコグバーンが来た。薄れていく意識の中、彼のたくましい腕に支えられ引き上げられる。「馬は一頭しかいない、俺は置いていけ」 とラビーフ。生きていたようだ。そして長い長い道のりをコグバーンに支えられ馬で駆ける。昼も夜も、休むことなく。馬が疲れ果てても。
 四半世紀後、マティはオバサンになってた。オールドミスというやつか。片腕を失うことにはなったがコグバーンの必死の介抱で助かったのだ。ワイルド・ウェスト・ショーと共にコグバーンが来ると聞いて会いに行ったが、彼はつい先日死んだという。その亡骸を自分の用意した墓に入れる。そして祈りをささげた。


個人的感想
途中からマティ目線で書いてしまったがまあいいか。なんか上手く文章まとめらんなくって、そうなっちまいました。
で、まずこの映画は非常に好きです。今年一番です。わしは『勇気ある追跡』も観てますが毛色が全然違います。前作はジョン・ウェイン主演映画のいわゆる「ヨッ、待ってました」という歌舞伎的な作品で、マティが主役級で出てきますが物語はあくまでもコグバーン中心で展開していきます。なので、従来通りのゴツっとした西部劇になってます。
一方この『トゥルー・グリット』ではマティが中心なので、終わってみると女性特有のしっとりした印象を受けました。で、そのしっとりがどうしてなのかを汚いメモを見ながら考えていると、どうもこれはラブストーリーが中心になっているんですよ。
 それがどんなところに出てくるかというと、片腕を失うということ。それは言うまでもなく、片目を失ったコグバーンと同じ境遇になったということ。劇中でコグバーンがペラペラ話していた事と同じように、自分もこの追跡劇で相当な人を殺してしまったというその代償。要するに『復讐するは我にあり』っていうこと。『復讐するは我にあり』っていうのは緒方拳さんの映画ですが、新約聖書の中の言葉で要するにどういうことかというと
「あんた復讐なんてするんじゃあないよ、それはあたい(神様)がやることなんだからね」
ということ。つまりキリストの教えに従ってた彼女が(劇中台詞でも散々言ってた)、その教えを破ってしまい罰を受けた。そして、同じ罰を受けた者同士が同じ道を進んでいくという話。それが少女の視点で描かれる。だからしっとりしているのだ。
 そして決定的な場面。ラストです。彼女は結婚せずに、コグバーンを待ち続けていたという描写。そして墓を自らの近くにたて、祈る描写。どこか寂しくも見えるけど、二人はずっと近くにいるというシーンです。前作よりも決定的にラブストーリー路線な脚本です。これはもう感動しましたよ。ポロポロ泣くとかそういうんじゃあなく、ホント心にグッときました。
 まあ前作でも確かにラストで少女が健気に「一緒になろうねオヂサン」的な事言って終わるんですが、ガーッハッハで終わるんですね。やっぱ当時じゃ少女と爺さんが見つめ合ってチュ~とか愛を育むっていうのを描けなかったんでしょう。直接的じゃあないにせよ、『レオン』みたいなことやったら叩かれるでしょうし。ましてや保守的なジョン・ウェインですからね、そんなこと描くわけにもいかんわな。けしからん! ってなるよ。



まとめ
なんとなくですけど、この敵役ってわかりやすい悪じゃあないんですよね(荒野を逃げるジョシュ・ブローリンって応援したくなるし)。前作でもちょっと普通の西部劇の悪役と違う感じがしたんですが、今作ではさらに悪役っぽくなさが増してました。でも、「ちょっと後悔してるんだよ~」なんて言われたら逆にムカついて「ぶち殺したろか!」ってなりますよね。でもあれはそうじゃなく、悪役にも感情を持たせて人間として描くことによって、少女の罪を観客に伝えたかったんでしょう。ん~深いよコーエン兄弟。これぞまさに映画だ。ガーッハッハ。


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theme : 心に残る映画
genre : 映画

ムカデ人間(ヘンテコ映画特集)  稲中のアレ

ムカデ人間
ちまたで話題になっている映画『ムカデ人間(The Human Centipede (First Sequence))』を観ました。まあ話題になってるって言ったって知らない人の方が多いんでしょうけど。で、実は劇場公開する以前に既に観てるんで、今回は2回目ということになりました。監督はトム・シックス、オランダ・イギリス合作の2010年の映画だそうです。
詳しくは→goo映画(あらすじ程度)


わし的ストーリー
ニューヨークから来たピチピチギャル(死語)二人がヨーロッパ旅行中に森の中で孤立する。携帯も通じず雷雨の中彷徨い歩いていると、一軒の怪しい家を見つけた。そこに住む元ドクターの怪しいオッサンに至れり尽くせりしてもらうが、無論それは罠だった。ドクターはマッドサイエンティストで、人体改造をする材料を探していたのだ。そこにはもう一人、ウザったい日本人のカツローが囚われていた。ドクターは手術の説明をした後三人の口と尻を繋ぎ、一体のムカデ人間にしてしまう。


感想
ポスター面白そうでしょ? でもこれはですねえ、どこをとっても非常に残念な映画でした。B級、いやZ級には優しいのですが、この映画はダメです。まず、ムカデ人間の特性。ドクターは人間の肛門と口を繋いで栄養をどうのこうのって説明してるから消化器系も繋げてそれこそ一つの生命体にしてしまうのかと思ったのに、ただくっつけただけなの。だから後ろの人は普通に生きてるし、目も見えるし。ただ縫合しただけ。だから先頭の人が飯食ってウンコ出して、そのウンコを二番目の人が口で受けるってだけ。全然繋がってねえじゃん。腸と食道を繋げるとかじゃあないのかよ。んで、そのうち後ろの人が栄養不足で死んだりするのね。それじゃあ全然ダメだろ。食ったものがそのまま流れて3人分の栄養になるってのが完成型だろ普通。逆にそうしないと全然面白くないだろ。だってこれじゃあただアロンアルファでくっつけたようなもんじゃん。稲中卓球部に出てくるネタと同じじゃあないか(6巻『独壇場』という回)。きちんと一つの生命体を描いて、客を驚かせるべきだ絶対。作る側としてけっこうおいしいネタなのにもったいない。

それと、これはしかたないのかなあ、役者ね。北村昭博さん、この日本人、すっごく下手。まあ演出のせいもあるんだけど、監督は日本語わからないからとにかくわめいてくれって指示したんでしょうねえ。でもさあ、これは酷すぎる。おそらくアドリブでまくしたてちゃったもんだから、シーンの繋がりがぎこちないのね。別カットは同じ演技を求められるんだけど、カットワンでとにかくアドリブでやりすぎちゃってるから、カットツーでちょっとずれちゃうんだ、演技が。スタッフに日本語わかる人がいなくてきちっとした台本書けずに役者が演じたままになってしまってるんだろう。そういうところが非常に雑だった。
B級だからいいじゃんって思うかも知れないけどそこが落とし穴。B級でも小手先でカッコつけるためにやたらカット増やす人多くて、そこで演者にアドリブの連打やられると、シーンが合わなくなる。でも撮り直しする余裕ないからそのままにしちゃう。だから黙って長回しか、台詞極力避けるか、きちっと台本練って読んどくかしないと、ホント雑になっちゃう。日本のピンク映画に学べよ(低予算だしその場のアドリブも多いのにスムーズ)。

もう一つ。ひねりがなさすぎる。ムカデ人間ってだけで90分はやっぱ無理だ。そこに他の要素を入れないと。ムカデ人間になって、ギャーギャー騒ぐだけじゃあつまらない。ムカデに恋するとか、途中でマスコミにばれるとか、ドクターがもっとスンゴイこと考え付くとか、皆日本語喋れるようになって意思疎通するとか、同じような状態の登場人物(ムカデ人間の真ん中の人のように挟まれた、例えば上司と部下に挟まれてる会社員)出すとか。違う要素のカットを入れたりすればまだ面白くなっただろう。何も幅広くしろとは言わないが、もっちょっと要素や刺激を増やせば良かった。


まとめ
ムカデ人間っていうそれ自体のネタは良い。狂気の人物に振り回されるってのもホラーのテッパンだし問題ない。ただ、全然未完成なムカデ人間だったこと、役者の演技、アドリブのバランス、ひねりの少なさが残念なところ。要素ってのはホント基本中の基本。ムカデだったら、「脚」とか「虫」とか。そこから広げて「脚フェチ」とかに発展して、「脚フェチ」の登場人物を出すとか、ドクターが「脚フェチ」だって設定にするとかしていけばいい。それを台本に絡めていけば、少しは広がりもあっただろうし、物語としてもパンチが効いてくる。でもこのままじゃあ、わしがプロデューサーならもう一回作り直させるレベルの作品です。


ムカデ人間  公式です。

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夏時間の庭  必殺「画面が美し~」

夏時間の庭
最近北海道もかなり暑くなってきました。まさに夏です。ということで今日は『夏時間の庭(L'Heure d'été)』という2008年のフランス映画についてちゃちゃっと書きます。そうです、得意のフランス映画です。大好き(!?)です。フレンチノワール万歳です。ヌーヴェル・ヴァーグも万歳です。『エマニエル夫人』はなおさら万歳です。ということで『夏時間の庭』監督はオリヴィエ・アサヤス、わしがちょっと好きなジュリエット・ビノシュも出演してます。主演じゃないですが主演みたいなもんです。それともう一人、ちょっとびっくりですがカイル・イーストウッドも出てます。クリントの息子です。なんででしょうかね~。
ちなみにこの映画、オルセー美術館開館20周年記念の作品なんだって。どうでもいいけどね。
詳しくは→goo映画(ネタバレあり)


簡潔ストーリー
どういう話かというと、母親が自分が死んだら売るようにと残した美術品を3人の子どもらはどうするのか? というものです。そこにそれぞれの立場や性格、人間関係が絡んできます。
長男は美術品を売りたくないがグレた娘がいて大変。次男は中国に働きに行くから売っちゃって結構。長女の金髪ジュリエット・ビノシュもアメリカで働きながらイーストウッドの息子としっぽりやるから売る派。てことで・・・。


感想
それだけ? と思うかもですが、親の残した遺産や自分たちが育った家の存続という話は、とても重いです。どうして重いのかということもこの映画では語っています。それは世代の変化、受け継いでいく過程をどうスムーズに行うのかという「時間の流れ」を描写しているからです。「時間の流れ」というのはすなわち「死」です。人は死ぬからその所有物が残る。それが美術品だったり、イーストウッドが『グラン・トリノ』で描いていたように「魂」だったりする。
 ところがこの映画では、母親がその遺産を受け継がせようとしない。なぜなら、自分の残した所有物で息子達を縛りたくないからだ。このへんの描き方がとても上手いと思った。ていうかすごく共感できた。こういう母親いるよねって思ってしまった(母親は一人しかいないのに)。もちろんそこに至るまでの性格描写をしているからなんだろうけど、妙に納得してしまった。一人で寂しそうに生活する母親と、せわしなく働きまわる息子たちの対比。誕生パーティでの絡み加減で彼らの関係が観客にしみ込まれていく。母親は皆が自分に気を遣っていることに気付いてる。自分が愛する息子たちに出来ることはなんなのか、それも気付いてる。そう考えると、切ない。

そして物語ではそれら美術品をどうするかという局面に向かう。花を挿している花瓶ですら貴重な品らしい。だが花瓶は飾るより使ってこそだ、という『トイ・ストーリー2』みたいなことを言う。『トイ・ストーリー2』は玩具は遊んでこそだ、って感じでしたね。その辺もなかなかでした。


まとめ
・・・と、珍しく良さげなこと書きましたが、ドンパチもおっぱいもないです。いわゆるインテリ映画です。わかったふりする人が観て 「画面が美し~」とか「カメラマンがすばらし~」とのたまう系です。まあ画面が美しいだけで2時間もつわけありませんし、カメラマンの頑張りのみで全て描ける作品なんてありませんけどね。映画は総合芸術ですし。この作品はそこそこストーリーがしっかりしてるので、映像に必然性が生まれるんですね。引き立つんです。
にしても、ラストでどんちゃん騒ぎする中グレてたガキが爽やかに塀を越えてヨロシクってシーンがあるんだけど、わしは蛇足に感じてしまった。ちょっと押しつけがましさを感じたのと、そのラストシーケンスの尺が長い気がした。ここはほんの1カットぐらいの演出でいいと思う。どんちゃん騒ぎしてる中カメラがクレーンで引いてって少女が塀を飛び越えてるの。それを観て観客は静かな骨董品みたいな家が今はロックで若者たちの溜まり場に変貌したってことがわかる。世代交代ね。でもこの映画では長い。延々とどんちゃんやって、たらたら少女が森に向かう。ラストだけ妙にコッテリ演出になってしまっている。ちょっと気持ち悪かった。って、好みの問題か。


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エマニエル夫人  amazonです。
グラン・トリノ  amazonです。
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Author:ホモルカ
札幌在住。おとこ。
ボケ防止でブログ開始。
ボケ担当。
学校で映画を勉強。
でもブログは好き勝手書くよ。
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