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60歳のラブレター  歳をとるということ

60歳のラブレター
久しぶりの更新になってしまった今回は、『60歳のラブレター』という映画について書こうと思います。ちなみにこれ観たのは最近なんで、細かい部分や正確な情報は書けないかも知れないので、思った事を書いていきます。っていうか、思ったこと書きたいんですよ!今は!


ストーリー(っていうか展開)
本作は3組のカップルに焦点を当てストーリーを進めていきます。1組目が仕事一本の中村雅俊と金持ちの娘で世間知らずの原田美枝子夫妻。2組目が魚屋の店主イッセー尾形と元気者の綾戸智恵夫妻。3組目が妻に先立たれた井上順と売れっ子翻訳家で独身貴族のアンパンマン(じゃなかった戸田恵子)の出会いです。3組目だけカップルじゃないので、正確には2組と2人に焦点を当てた、ですね。
でもって、ストーリーはですね、中村雅俊が定年退職して妻と離婚し、愛人と会社を共同経営し始めます。娘の反応を観る限りでは、この父親は家族を顧みなかったんでしょう。妻の原田は戸田恵子に連れられおめかしをし、作家のパーティーで石黒賢を魅了し新たな出会いをゲットします。イッセーは持病の糖尿病を克服するため、妻とジョギングをします。その帰り、楽器店のショウウィンドウにギターが飾ってあって・・・。まあこのギターがその後の迷(名)シーンを生むわけですが、それは後ほど。井上は、ええっと、なんだっけ、ああめんどくさいからDVD観て下さい。
goo映画(ネタバレなしよん)


感想
まず、映画学校に通ってるから云々じゃあなく、個人的に思った事を書きます(毎回そうだが)。ええっと観終わってですね、これ絶対年寄りの脚本と監督だろうな、って思いました。監督深川栄洋。脚本古沢良太。こいつら絶対60こえてるな。確実にそう思いました。どうしてかって言うと、若い登場人物が決定的に描けてないからです。中村雅俊の娘夫婦の中途半端な結婚観と反発心。感情が全然描けてなくて、まるっきり記号というか、年寄りが思い込んでるいわゆる若い人、まさに単なるステレオタイプなんです。主役じゃないからいいんだよ、と思うかもしれませんが、彼らがまったく味気ないので、ストーリーにスパイスがまるっきりきいてなく、平坦なものになってしまっています。これは井上順のJKの娘にも言える事で、彼女の性格が思いっきりステレオタイプで(もうほとんどロボットに近い)、セリフも行動もなにもかもがジジイが思ってるグレたJKになってます。
もうね、これを観れば絶対脚本と監督還暦こえてるだろと思ってしまいますよ。それか、もしかすると年寄りに媚びへつらってる若い連中か。そのどちらかだろうと思いました。・・・ハイ、正解は、後者でした。この二人若いんですよ。いやあ、これにはビックリしました。でも、納得するところもあります。例えば、中村が新しく勤めた企業が下降していった時に、急に陰謀説が浮上したり、その陰謀を企てた企業体がほとんどマフィアみたいだったり、ドラマ等の医学検証をする人を差別してたり(そんな人とは釣り合わないというセリフがあった)、主役のキャラを全部モノローグで説明しちゃってたり・・・。このへんはあまりにも浅はかで、ひどいというよりも、まあむしろ逆にギャグとして成立しているので、それはそれでいいかって感じもしますがね。無知で無垢な若者が年寄りの職人監督に認められたいがために媚びへつらってのし上がってきたんだなーというのがよくわかりました。


この映画最大の見どころ
ちょっと批判的な部分を書いてしまいましたが、この映画がダメとかそういうことじゃあ全然ありません。わしは結構好きな映画ですし、近年の邦画では素晴らしいという部類に入るのではないでしょうか。ですがこの素晴らしさ、イッセー尾形の「み~しぇ~る」を抜きにしては語れません。
まさしくこの映画最大の見どころは、イッセー尾形のギター弾き語りフラッシュバック(笑)にあります。物語もクライマックス。病気療養中の妻が眠ってる前で、院内に響く美声でビートルズの『ミシェール』を歌うイッセー。もうとにかく、涙なくしては観れませんよ。笑いすぎて本当に泣きました。いやあ、序盤でのギターを見るシーンがここで生きてくるとは、正直思ってもいませんでした。妻を呼び起こそうと歌うイッセー。妻を亡くしたくない思いが伝わってくるよ。み~しぇ~る。ショウウィンドウのギターを買ったのは妻だんたんだね。み~しぇ~る。・・・み~しぇ~る。・・・って、まだ終わらんのかい!ってぐらい延々とこの「み~しぇ~る」が続くんですよ。思い出しただけでも涙がッ!おもわずご飯が涙が噴き出してしまいそうです。

でも冗談抜きに、ちゃんと良い映画にはなってますよ。歌が下手になったイッセー。絵も仕事もダメになった中村。彼らは年をとり、何かを失いはしたものの、気持ちは意外と変わらない。普遍的といったら大袈裟だけど、年齢を描く場合はそういったもの、アレは失ったがコレは変わらないというものをうまく描写できるかで印象がずいぶんかわると思う。その点で、ラストはまあまあ着地できていたと思う。それからこれは映画でと言うよりも、むしろ自分達の体験として60歳を迎えてほしい、迎えたいという気持ちを持って観た方が、より心に響くかも知れないです。抱きしめたり、愛してると口に出すのは映画だけの特権ですから、現実として平穏無事に60歳を迎えられれば、なによりですよね(わしが年寄りみたい?!)。



まとめ
そもそもネタが良いだけに、多少描き方がおろそかでも伝わってしまうものです。ああ、もっと優れた監督と脚本家だったらよかったのになあ。なんだかもったいないよ。


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genre : 映画

ラスト・ブラッド  オマージュって

ラスト・ブラッド
もう9月になるのかあ。早いなあ。
おぼんこぼんは実家にいました。そこでまた色々映画をみたり、庭に遊びに来る猫と戯れたり、TVで野球見たりしてたわけです。あ、本も読みました。
そんでもって『ラスト・ブラッド』というしょーもなーい映画を観ました。漫画が原作らしいです(読んでない)。
どんなストーリーかって言うと、オニと人間のハーフである主人公がオニをやっつけるというものです。一応最大の敵であるオニゲンを倒す事が目的です。『ブレイド(Blade)』そのまんまです。
内容→cinematopics(ネタバレない)

正直、セーラー服で敵をぶった斬るのも、実は最大の敵は親だったというネタも、ワイヤーアクションもCGもヘンテコな日本も自分のアイデンティティ暴露も何もかもにおいて、新鮮味のかけらもありませんでした。
全てをあらゆる映画から引用した映画だということです。
これはどういうことか。引用、言い方を変えれば「オマージュを奉げる」と言う事です。
タランティーノが『キル・ビル(Kill Bill)』でやってのけた事、あらゆる過去の映画からシーンや設定をパクッて自分の映画内に挿入する。それがオマージュです。
古くからある演出方法ですが(スピルバーグもやる)、『キル・ビル』は全編オマージュといっても過言ではありません。それだけの引用をした場合、たんなるパクリと言われてしまうのですが、タラちゃんが堂々と「オマージュだ」と言ってのけたので、結局この演出法を広めたのはタラちゃんということになってしまいました。
それ以降、若い監督がこぞってパクリ始めました。パクリをパクリ始めたわけです。
パクっても真似じゃない、オマージュなんだ。そう言えば、いっぱしの監督です。世界観をパクるも、カメラワークをパクるも、音楽をパクるも、セリフをパクるも、キャラクタをパクるも、ストーリーをパクるも、何でもありです。それが映画への愛なんだから(自称)。
タラちゃんだからといって海外だけにとどまってるわけじゃなく、日本にも浸透してますよね。
こういったオマージュ作品が無数に溢れる中、本作の『ラスト・ブラッド』もその「王道」を行く作品です。

ところが観ていて、全く映画への愛を感じなかったんです(しょっちゅうある事だが特に今回は)。セーラー服で戦う時のパンチラ狙うショットとか少女がいたぶられるとかそういう性癖ばかり見せつけられて、ホント何も感じなかったです。どうしてだろ?
パクリばかりだからというなら『キル・ビル』で感じた愛は説明がつかないし、性癖を見せつけられるからというならヒッチコックの『めまい(Vertigo)』の衝撃が忘れられない。
これはもはやオマージュではなく、ただ「なぞっている」だけに過ぎない、そう思いました。
薄く鉛筆で書かれた線の上をボールペンで軽くなぞるだけ。そんなのクリエイティブでもなんでもない。想像することを放棄して、評価だけを求めてるにすぎません。
こういう映画は特にB級として扱われます。それを好きこのんで観るのは全然構わないんだけど、ただなぞってるだけの映画をB級としてくくって誤魔化すのも、ちょっとロジャー・コーマンに失礼じゃないかなと思うわけです。


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レクイエム・フォー・ドリーム  明るく「寂しいの」

レクイエム・フォー・ドリーム
夏ですね。暑いですね。北海道でこんなに暑がってるぐらいだから、本州とか行ったらどうなるんだろう。生活できるかなあ。照り返しとかひどいって言うし。ということで、今日は『レクイエム・フォー・ドリーム(Requiem for a Dream)』という映画を紹介します。この夏、怖い映画を見たい人にはとくにお勧めです。
内容→cinematopics(ネタバレあるかもだから、DVD必見)

怖いと言っても幽霊とかじゃありません。薬物中毒による崩壊の恐怖です。それも、平凡な人々の崩壊です。監督はもう有名ですね。『レスラー(The Wrestler)』や『π』(大好きです)を撮ったダーレン・アロノフスキー。主演は息子にジャレッド・レト。その恋人にジェニファー・コネリー。母親にエレン・バースティンです。
わしが最初に観たのは中学の時だったが、この映画はとにかくつらいです。観た後、具合悪くなるかもしれません。わしはグロとかトラウマ系には耐性があるが(『ネクロマンティック(Nekromantik)』とか平気だもん)、これは言いようのないつらい気持ちになりました。
何がつらいって、母親が堕ちていくさまですよ。正直、ジャレッド・レトやジェニファー・コネリーがテンパっていくのは全然平気なんですよ。ただ、母親が中毒になっていくのは・・・。そしてそれを演じるエレン・バースティンが凄い演技で、さらに鬱に拍車がかかります。

わしがとくにつらかったのは、中盤で、母親が久々に帰った息子に話す場面。ここのエレン・バースティンの演技やそれを捉えるカメラワークが特にすごい。まあ、自分がTV番組に呼ばれた事や、それにむけてダイエットをしてる事、そのために病院で薬を処方してもらってること。そして死んだ夫のことや、自らの孤独感を、時に涙ながら、時に笑顔で話すシーンです。特に、母親が自分の老いと孤独を語るやりとりで
息子「You got friends, Ma(友達がいるじゃないか)」
母親「Its not the same.They don't need me(それとは別よ、結局は他人だもの)」
という場面。ここはホント心が動きます。もうどうしても自分の母親に見えてしまって、なんとかして守りたいって思えてくるんです(これを見て心を痛めない息子諸君はいません)。それは、まずエレンの演技。涙を堪えようとするさまや、優しい笑顔など、母親としての感情を微妙な表情の変化で表現しています。表情だけではなく、身振り手振りもで、ほんとに見事な素晴らしい演技です。そしてカメラワーク。これは編集もなんだと思うが、母親のクローズアップをメインにしていること。そして、照明。アメリカでは照明屋さんはいないと聞いたが、陽光が差し込む優しい背景が、落ちていく母親を上手く浮き上がらせている。暗くじめじめした空間で孤独を表現するよりも、精一杯明るく繕って、でも実は私は孤独なのよ、と言った方が、より母親の孤独に対する感情が伝わる。そう、孤独を恐れているがゆえに、明るいんです。

それから再見して気付いたんですが、この映画、音楽、音の使い方が非常に計算されていて、関心しました。母親の場面での時計の音もそうだし、音楽も、サスペンスみたいな使い方をしていて、平凡の中にある落とし穴を彷彿とさせている。
そして、物語全体のテンポ感。一つの行動を短いカットで繋ぐモンタージュの多用、繰り返しで、薬物やテレビ依存をうまく表現できている。単にビジュアル的な表現にとどまっていない(近年流行りのスタイリッシュさを出す方法にとどまってないってこと)というのが、この映画の献身的なところだろう。だって、これ観てヤクやろうとは思えないでしょ? 

おそらく、これを見て心を痛めない息子諸君はいません。観終わって、用もなく母親に電話しました。

と、まあこの夏、ホラーも良いけど、身も心も疲れてみませんか?ということで、お勧めですよ。


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theme : 映画紹介
genre : 映画

リトル・ヴォイス  感情表現とは

リトル・ヴォイス
先日、『めがね』(過去記事)という映画について書いたんだけど、まあ酷評したわけですが、どうしてこういう映画がヒットするのか、本当に不思議でしょうがない。どうしてなんだろう。『花より男子』(過去記事)とか、どうして観るの?だって、内容とかホントひどいですよ。どう考えても子どもむけに作ってある。そのくせ子どもには見せられない内容ですが。これがテレビの思考なんだろうか。全てを説明されないと、集中できないのだろうか。そういえば、どっかの偉い人が「大衆とは馬鹿である」って言ってたなあ。昔からそうだけど、それはマスメディアが発展してないし教育もいきとどいていないから仕方ないっちゃあ仕方ない。今は別だ。教育も、情報も、溢れている。それなのに馬鹿になっちゃあ、元も子もない。『めがね』はまさに、「みんなで馬鹿になろう」という映画だったので、本当に恐怖を感じた。ひょっとしたら、『呪怨』より怖かったかもしれない。

というわけで、今日は『リトル・ヴォイス(Little Voice)』という映画について。
1998年のイギリス映画で、監督・脚本はマーク・ハーマン。マーク・ハーマンといえば、『ブラス!(Brassed Off)』という、炭鉱の町を舞台にした非常に感動的な映画を撮っています。『ブラス!』でも『リトル・ヴォイス』でも、主演の一人にユアン・マクレガーを起用していて、同時期の『トレインスポッティング(Trainspotting)』ではヤク中になってわしの好きなケリー・マクドナルドとSEXしてるのに、こんなんに出て大丈夫か?って気になるんですが、無難にこなしています。さすが、役者って色々やるんですね。
リトル・ヴォイスの内容→cinematopics(ネタバレないと思う。めんどいから読んでない)

わしはこの映画観ると思うんですが、この母親(その友達も)は凄くかわいそうなんです。かわいそうって言ったら蔑んでいるように聞こえるかも知れないですが。いや、蔑んでいるのかも知れない。とにかく、この母親は本当にかわいそうだ。
この劇中内では、母親はいわゆる悪キャラで、主人公の娘であるLVを籠の中に閉じ込めておく「監視役」です。しかも自分は好き勝手やってて、LVには冷たく当たるという、どう考えても憎まれ役です。ところが、この映画の良いところは、その憎まれ役をきちんと描くところにあると思うんです。きちんと描くとはどういうことか。その人物の行動を映す、じゃありません。それは『めがね』でもやっています。しょうもない行動ばかり映してて(例えば氷がどうのこうのとか体操とか)、結局人物について何も描けていないケースはよくあります。じゃあ何か。ベタなんだけど、感情です。
感情というのは、表現するのが一番難しいものです。よく、感情表現がうまい役者、とかいいますが、じつはだいたいの役者さんは感情を表現できます。大袈裟だったり、さりげなかったり。その辺はもう個性だし、場面によって使い分けることが出来るかが大切です。もちろん下手な人もいますが・・・。
この映画での感情表現というのは、そういった表情ではなく、衣装や行動、いわゆる総合的感情表現です。こうやって書くとめんどくさく見えるが、要するに「登場人物の感情をどれだけ見た目で説明できるか」ということです。それが顕著なのが、母親です。化粧や衣装、歩き方や行動や姿勢までもが徹底されていて、本当にうまく描けている。たんにこの母親が派手な衣装を着て、派手な化粧をして、マイケル・ケインや男をひっかけようとしているのではなく、その内にあるもの、実は寂しくてしょうがないとか、生活のためという思いや、この男にフラれたらもうどうしようもなくなると言った哀愁まで伝わってくるんです。そうなった場合(話の展開上そうなる事を予測した上で)なんの楽しみもない生活が待っているんじゃないか。そういうことを考えて、すごくかわいそうになるんです。

そしてもう一つ、わしは映画史に残る名シーンだと思ってるんだが、マイケル・ケインがべろべろになって毒づきながら歌う場面は最高です。様々な人物とのカットバック。そしてマイケル・ケインのべろべろ具合。そこの観客の唖然とした表情。酷いものを見てしまったという客の顔や、心配そうな演奏者のカット。全てが不安定になって、その不安定さをマイケル・ケインが自信たっぷりに歌に乗せて表現する。最高のシーンですよ。実は大舞台に立ちたかったのは、LVでも母親でもなく、マイケル・ケインだったんです。そして、リトル・ヴォイスというのも実はマイケル・ケインのことでもあって、いわゆる世を渡っている人々のことなんです。彼らは叫びたいけど、それを抑制して生きているという事ですね。まあ、そういう見方もあるということです。

それにしても、LVかわいいですよね。でも、30過ぎてるらしい。うん、まあ、年上好きだし、全然ありです。この後ユアン・マクレガーが『トレインスポッティング』みたくヤッちゃうのかな。


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theme : 心に残る映画
genre : 映画

LSD -ラッキー・スカイ・ダイアモンド-(ヘンテコ映画特集)  ラリった佐野史郎大好き

LSD
ちょっとショッキングな映画を紹介します。
まあ大したことはないですが。





というわけで今日はヘンテコ映画特集っていうことでいきます。
まあ、一応紹介っていう体でやっていこうかと思いますけども。『LSD -ラッキー・スカイ・ダイアモンド-』という映画について書きます。
一応説明サイト→allcinema

どんな話かと言いますと、主人公の精神病の女(ヨーコ)がよくわからんうちに変態医師と変態女に治療の一環として精神外科手術を受けて、薬漬けにされてとんでもないことになる、っていうストーリーです。
まあ話だけだと別にヘンテコな感じはしないでしょう。
ところが観るとビックリです。
血やら内臓やら飛び散るわ、ゴキブリは食べるわ、登場人物は3人しかいないのに全員イカレてるわ、現実なのか妄想なのかよくわからんカットは続くわで、もうグチャグチャです。
おまけにカメラは大揺れ、意味不明なセリフでしかも全員一斉に喋る、しかもカメラに向かって語るなど、まじでトビすぎです。
そんなシーンばっかな映画なんですが、その中でもわしがお気に入りなシーンがあるので、2つ(見せ場はもっとあるよ)紹介します。

まずはですね、佐野史郎がヨーコの看病するシーンです。
まあ看病と見せかけて実はHするんです。ところがそれを別室で変態女がモニタで観てるんですよ。
そして彼女が鼻血を垂らすんですねえ。
シュールですね。ちょっと考えると笑っちゃいますよね。だって興奮しているっていう描写を鼻血で表現するなんて、ギャグ漫画じゃないんですから。
でもまあおそらく性的に満たされてない変態女が嫉妬してるって描写でしょう。もしくは、なんらかの理由で佐野史郎とSEXできないから、佐野がモニタに映ることわかってて変態女を興奮させてあげるべくSEXしてみせたとか?かなあ。まあその時の表情とかから前者が正しいとは思いますが。

そしてこの映画を観た人なら必ず思うでしょう。
やっぱ佐野史郎が大好き、と。
そうです。ラスト間際の佐野史郎の大暴走です。まさにこの映画をヘンテコたらしめる名シーンです。
どんなシーンかっていうと、ヨーコが逃げるべく廊下を走るんですよ。すると、曲がり角にスススっと段ボール箱が現れます。
何かただならぬ雰囲気を感じ取るヨーコ。すると箱の中から白塗りの佐野史郎が出てくるんです。そして豪快に笑いながら薬を飲み、こっちに向かって来るんですね。
わしが好きなのはその、こっちに向かってくるところなんですよ。一歩一歩、ロボットみたいに近づいてくるんです、そして足を踏み出す度に「ハッ、ハッ」って言いながら。その様子がもう自信たっぷりで、佐野史郎からもう俺に任せとけ!って感じが滲み出てて(実際どうかは知らないよ)、最高です。
彼はホント、見た感じからしてちょっと変態っぽいですもんね。まさにLSD、ラリった・佐野史郎・大好き、です。

それと、観ていると妙に浴衣姿で内臓はみ出して脳みそ露出したヨーコがエロく感じてくるんですよね。わしって変態なのか?

まあこんな感じで、とっても愛すべきヘンテコ変態映画です。
一つちょっと言うとすれば、ラスト間際の段ボール佐野がヨーコに乗っかかるシーンがあるんですが、そこはもうちょっと離れたところから撮影してほしかった。段ボール佐野とボロボロのヨーコとの取っ組み合いという図の滑稽さを描写しても面白いんじゃないかなぁ、と。それにもう第三者視点の安定感で充分ですよ。それまでのカメラワークで充分LSDの幻覚作用は伝わってますからね。

それと、最近の洋画のおかげでなんだかヤク中がスタイリッシュに描かれることが多いですが、やっちゃ絶対駄目ですよ。カッコよくもないし、ただ精神が崩壊していくだけですよ。この映画みたいに。


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theme : 映画紹介
genre : 映画

プロフィール

ホモルカ

Author:ホモルカ
札幌在住。おとこ。
ボケ防止でブログ開始。
ボケ担当。
学校で映画を勉強。
でもブログは好き勝手書くよ。
映画について質問あればコメントくださいな。

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