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アフガン零年  本日傲慢注意報発令

アフガン零年
今日は『アフガン零年(Osama)』という映画を紹介しようと思います。2003年のアフガニスタン映画ですが、日本も絡んでます。たしかNHKが出資してると思った。ほんでもってゴールデングローブ外国語映画賞を受賞してます。カンヌでもカメラ・ドール(新人賞)を受賞してます。カンヌはこういう社会派に目がないので・・・。おっと、あまり突っ込まないようにしておこう。
ということで詳細は→goo映画(DVD是非観てね)


ストーリー
タリバン政権下のアフガニスタン。アフガンっ娘のオサマちゃんは12歳の女の子。ううん、12歳と言えばそろそろあんなことやこんなことが起こり始める年頃だよね! そんな多感な年頃なんだけど、お父さんを戦争で亡くしちゃってて、家には祖母ちゃんとママとオサマちゃんの3人しかいない。おまけに家は厳格なイスラム教だから女性が外出することもできないので、家族の働き手が一人もいない状況なのさ。このままじゃあ生活していけない。そこでママは考えた。オサマを男の子に変装させよう!
家族のため、そして自分が生きるために髪を切り、趣味じゃない男装までしたオサマ。そんなかわいそうなオサマはパパの戦友のもとでミルク売りの仕事につく。
「やべえ、タリバンに見つかったらぶち殺される。道を歩くだけでも周りの目が気になるし、お香屋の少年が接近してくるし、お祖母ちゃんはわけのわからんおまじない言って誤魔化そうとするし、日本じゃ女の子が男装して『花のイケメンパラダイス』とか言ってるし、全くわたしの苦労も知らないで!」
そんなある日、タリバンが強制的に町の少年を全員宗教学校に入れさせちゃう。もちろんオサマちゃんも男装してるもんだから連行されちゃう。ピンチだオサマちゃん! この局面をどう打開する!? そう思ってたらもっとピンチになってきた。全生徒が裸になって風呂に集合だよ。しかも性教育始めたよ。オサマちゃん、これはマジで絶体絶命の大ピンチだ! でも映画だもん、きっとヒーローが助けに来てくれる。お香屋の少年とか・・・。やがて周囲からも疑われ出す。お前女だろ? そしてかわいそうなオサマちゃん、井戸に吊るされちゃったよ。その時、股の間から血が! 12歳と言えばそろそろあんなことやこんなことが起こり始める年頃だよね。それがこんな時に。
続きはDVDで。


個人的感想
まず言っておきたいんだけど、わしは出来ることならみんな幸せになってほしいと思っている。それと、『地雷を踏んだらサヨウナラ』(過去記事)とか『未来を写した子どもたち』とかの関係で少し写真や途上国の本を読んだんだけど、いくら貧しかったって、いくらつらい境遇だって、決して不幸だというわけではないし、どんなに貧しくても、教育を受けていなくて小さい頃から働きづめでも、カメラを向ければ良い表情をする人はする。大都会で時間に追われ何もかも他人に支配されてる人やお金ばっかり追いかけてる人にだって同じことが言える。つまり他人を救いようのない境遇だと勝手に決めつけたり、その人が不幸でかわいそうだと、わしらが偉そうなこと言えるようなツラじゃあないってこと。それがまず大前提。
 それを踏まえて、この映画が次から次へと仕掛けてくる「かわいそうでしょ~」という演出をわしは個人的に嫌悪する。写実的にしろなんにしろである。写実的にするのならば、もっと家の中の場面を増やすべきだ。「タリバンの奴らは女の敵だし、この娘は女の楽しみを何も知らないでいる」というのがこの映画のメッセージである。言いたいことはわからないでもない。確かにタリバンのやり方はハッキリ言って間違っていると思う。女性が教育・労働・外出を禁じられるというのはどう考えても非常識だ。ホントあんまりだと思う。ただ、その女性が不幸かどうかの結論を映画で見せるのも行き過ぎだし、それを世間に広げたいというのならドキュメンタリーで撮ればいい。家に閉じこもってるからって全員暗い顔でただ息してるだけってわけでもないんだし。そこは作り手や観客の傲慢に繋がる。『私の中のあなた』(過去記事)でも似たようなこと書いたが、病気の娘が同じ病気の男の子といいムードになった時にふとお母さん視点になる、その危険性。観客がお母さん視点で観てしまった時に生じる病気の子への上から目線、イニシアティブ。病気の子にしてみれば、母親は別として、あんたなんかに見守られる筋合いはないぜ、ってことだ。
その視線は立場が変わった時、いとも簡単に崩壊するもんだ。自分が与えていたと思っていたら、そうじゃなくなった時。それが必要ないとわかった時、自分の救済とは関係なしに「救われた(あえてこの表現)」時、自分を否定されたと感じるケースも少なくない。それが憎しみやらに発展して・・・。そういうのはホント、面倒くさい。それに、そういう気持ちはほとんど一過性のものにすぎない。
だからこういう扇動映画を観るときは充分に気をつけなきゃならない。それでストーリー紹介をわざと上のように陽気に書いてみたのさ。

まあ、一応お香屋の少年が未来の体現なんだろうかね。でもそれじゃあ物語として甘いですよ。この映画の場合は未来の体現を女性にしないと。女性で物語が始まり、女性であるがゆえに苦しんでと、終始女性という立場が中心に展開していくのだからね。


まとめ
ちょっと言い方悪いかもだけど、優等生な作品だよね。『アイ・アム・サム』(過去記事)みたいだね。賞狙いだね。リベラルアピールだね。ひゅーまにずむダイスキ! NHKダイスキ! スモウダイスキ!
でも、観て損は絶対にない。こういった現状があったと少しでも知るチャンスになれば、それでいいのだし、それはすごい価値のあることだ。


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theme : 映画感想
genre : 映画

美しい人  美しくないとこも描いてます

美しい人
今日は『美しい人(Nine Lives)』という映画について書きます。この映画は2005年の作品で、監督は『彼女を見ればわかること』のロドリゴ・ガルシアさん。主演はホリー・ハンター・・・っていうかこの映画、オムニバス形式なんで主演といってもたくさんいるんですよ。タイトルの通り9つの話をから構成されてますから、9人いるってことです。
詳しくは→goo映画(ネタバレあるからDVDで)


内容
ということで、内容をそれぞれ細かく書くつもりはありません。大まかに言うと、どの話も女性が主人公。それぞれが違う境遇で、一つの話がおよそ10分程度です。各話に繋がりはなく、たま~に登場人物がリンクするぐらいなので、その辺はなんていうか、前後が繋がって得られるカタルシスみたいなのとは無縁ですので注意。そして何より特徴的なのは、全ての話がいわゆる「ワンシーン・ワンカット」で撮影されてるということ。要するに、何か伝えたい部分だけを切り取ってシーンを作っていくという、通常のいわゆる「モンタージュ」にするのではなく、9人の女性それぞれの「ある時間」にスポットを当て、それをカットせずに長回しで垂れ流すという方法です。
ちなみに、「ワンシーン・ワンカット」という手法は、基本的に、その映画内での重要なシーンに用いる撮影方法です。重要なというのは、例えば監督が伝えたいテーマが含まれているだとか、物語の転機となる場面だとかです。監督が、ここってときに使用するわけです。だからって多用しすぎると間延びした演出になっちゃって、退屈したりする場合もあるし、そもそも時間軸を飛び越えられないので、物語を展開させにくいという点があります。


思う事
上記に書きましたが、9話全部がワンシーン・ワンカットです。それに加え、一話がおよそ10分程度なので、超長回しってことになります(超ってわけでもないかな)。しかも動きも結構あるので、カメラの周囲は相当忙しかっただろうなと想像できます。遠くに移動することもあったのでかなりバミる(場所とタイミング合わせ)必要があったでしょう。役者も大変だけど、それ以上にスタッフは重労働です(笑)。
まあそれはいいとして、邦題が美しい人ってのはあきらかに間違いだとわしは思う。このタイトルだと、映画が9人の女性の美しい部分にスポットを当てていると思われてしまう。でもそれは違うんだ。美しいかどうかは結果で、この映画が描いてるのは9人の女性の複雑な心情だ。それを美しいととるか醜いととるかは観ているわしらが感じること。だからこの邦題は的外れで、勝手に内容とテーマを書き変えた、最低クラスの改変だと思う。わしはね。
だってさ、描かれているのは美しいことばかりじゃあないんだもん。残酷なことだったり、目を覆いたくなるような醜い事だったり、しょーもない事だったりする。で、それぞれがリアルで、それぞれに意味があって、描いてることも与える印象もバラバラである。だからこの映画は成立している。美しくない事も全部描いてるから面白いんですよ。映画ってそういうものです。いや、これが『マレーナ』とか『FLOWERS』みたいな内容だったら『美しい人』ってのもわかるんですけどね。『マレーナ』ゴメン。『FLOWERS』と並べちゃって。『マレーナ』はわしが好きな映画です。

それからこの映画、それぞれオチというものがないです。っていうかそもそもオチなんかなくたって良いんです別に。とくにこの手の映画は。映像に映ったもの、その全てにテーマがあるので、わざわざオチを入れる必要はないのです。どうしてもオチを付けたがる人は、テレビ依存している可能性もあるので一度病院へ(嘘)。



わしは個人的に病院の話が好きでした。ああ、わかるって気持ちになりましたよ。とにかく旦那さんが怒られまくるんですよね、ああいう時って。わしも見たことがありますよ。


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theme : 映画紹介
genre : 映画

エクスペンダブルズ  逆コナン達の部室

エクスペンダブルズ
先日『エクスペンダブルズ(The Expendables)』を観てきました。先日って言っても2週間ぐらい前ですけどね。なんてったって、熱が冷めないもんですから、なかなか文字にできずにいたってわけです。熱ってのは風邪とかインフルエンザ的なものじゃあなく、スタローン熱だよこんちくしょーーーーーー!筋肉だよーーーーー!うおーーーーーー!


内容
この映画の内容だとーーー?そんなもん、ない。いや、あったかな。あったようななかったような。どっかの国にスタローン率いる傭兵部隊が行って悪そうな奴らを全部ブチ殺すってストーリーがひょっとしたらあったかもしれない。ん?それランボーか? ・・・って、そんなこまけーこたぁいいんだよ。知りたかったら観に行けばいい。


ちなみに俺は感動したぜ。そして学んだ。何を? 映画ってのは雰囲気も大事だってことさ。確かに今の邦画界を覗けば吐き気がするような「雰囲気だけの映画」が多い。実際俺もよく吐いた。雰囲気だけ美談。雰囲気だけ友情。雰囲気だけ純愛。雰囲気だけスタイリッシュ&クライムサスペンス。雰囲気だけスナッチ。雰囲気だけタラちゃん。雰囲気だけヴィム・ヴェンダース。他にも色々あって、そういうのを俺はたくさん観た。そうするうちに、雰囲気だけ醸し出してる映画に嫌気がさしてきたんだ。そうなったらもう歯止めが利かなくなり、いつしか俺は雰囲気を感じただけで作品を遠ざけてしまう習性が身についちまったんだ。でも今回俺が学んだのはそこだ。雰囲気を楽しむことだってできるってことさ。雰囲気ってのは、観る側の映画経験でもあったりする。この『エクスペンダブルズ』なんてランボーやらシュワちゃん的なのから戦争モノからロッキーから何から何までを踏襲した上での雰囲気を醸し出している。それを俺は無条件で楽しんだし、興奮した。決して遠ざけることなくな! そうさ、俺は胸を張ってその映画経験を楽しめばいいんだ。

だが、今上に挙げた邦画のクソ雰囲気映画はやっぱり嫌いだぜ。吐き気がするぜ。ウジ虫以下だ。なぜかって?わからねえ。スゲーって言われたくて作ってる気がするからかもしれねえ。岩井俊二が女にモテたくて映画撮ってるのと同じようにな。そういうの見ると吐き気がするぜ。

とにかく『エクスペンダブルズ』は興奮しまくりだぜ。あの傭兵部隊、身体は大人、頭は子どもで、まさに『逆コナン』だぜ(コナン・ザ・グレートじゃないよ)。絶対観れ!


エクスペンダブルズ  公式だぜ(音出るぜ)。

theme : 映画感想
genre : 映画

アイ・アム・サム  アイ・ウォント・アカデミー賞

アイ・アム・サム
先日、BSNHKで『アイ・アム・サム(I am Sam)』をやってたらしいです。知人があの映画観て感動したって言うし、他の人のブログ見ても評判がいいので、わしはちょっと驚いてしまいました。というのも、わしが最初観たときは全然良い映画だと思えなかったからです。でもずいぶん昔の事なので、今改めて観たら印象が違うかも知れないと思い、DVDを拝借して鑑賞しました。
内容→goo映画(ネタバレあり)


どんな話だっけか?
知的障害者のサムが父親になった。女の子(ルーシー)が産まれたのだ。でも、母親は子どもを置いてどこかに消えてしまう。サムは近所のオバサンの力を借りたり、同じ自閉症の友達と協力し合いルーシーを育てていく。やがて7歳になって、ルーシーはサムの精神年齢を越えてしまう。ソーシャルワーカーはサムに養育能力がないと判断し、ルーシーを施設に入れる。サムは裁判で争う事になり、優秀な弁護士のリタに無料で味方になってもらう。様々な人が証言をするが、裁判は不利に進み、ルーシーは里親に出されてしまう。それでもサムは毎日ルーシーに会いに行き、ルーシーも毎日サムの家に向かい・・・。


感想
ということで改めて鑑賞したわけなんですが、わしの個人的な感想ですが、やっぱり良いと思えませんでした。どういったところが気にくわないか、挙げていこうと思います。
まず、これは要するにどういう話かっていうと、娘を奪われた父親が発奮して取り戻すという、まあ非暴力な『96時間(Taken)』です。『96時間』といえば、元CIAのリーアム・ニーソンが海外のチンピラに拉致された娘を暴力暴力暴力で奪い返すというすばらしい内容の映画です。
では、どういう部分が共通してるかっていうと、まず

①基本的なプロット。どちらも主人公と娘の意思とは逆に離れ離れになり、最終的には父親が娘を奪い取るという着地です。プロセスは違いますが、流れはほとんど同じで、『アイ・アム・サム』では施設→里親で、一方『96時間』は拉致→人身売買です。どちらも中身は違いますが映画内の役割は同じです。

②主人公が備えている特殊性です。本作ではサムが知的障害者として描かれてるのが、『96時間』では元CIAという役職で、それが物語を進めていくうえでの推進力となっていきます(解決の理由づけ)。もちろんサムも、リーアムとは違い一見弱みに見えますが、物語を進めるうえでの重要な要素として、解決の重要な要素として描かれていきます。

③娘の無償の愛です。これはどういうことかというと、娘が父親を愛しているというカットしか描かれないということです。普通の家庭ではまず考えられないですよね。本作では、全編通してルーシーがサムにべたべたで、好きで好きでどうしようもないっていう描かれ方です。で、それがどうしてなのかという理由はなく、無償で完全な純粋愛が描かれます。一方の『96時間』もほぼ同じで、娘はパパが大好きです。でもまあこっちは娘がそれなりの年齢だし、アクションして取り戻すという男性的な要素があるので、娘が夢中になるのもわかります。それに、『アイ・アム・サム』と『96時間』では決定的に違う点があります。それは、アクションを見せ、それに付随するかたちでの娘の愛か、それとも親子愛として無償で無垢の愛かという点です。
簡単に言ってしまうと、『96時間』で見せたいのは「親子愛」じゃあなくて、リーアムが泣きそうな顔してやるアクションです。だから、そこに出てくる娘や他の助っ人の「無償・純粋さ」はさほど重要じゃなく、彼らが記号として描かれてもそれは成立するんです。
ところが、『アイ・アム・サム』では違います。この映画はアクションもなければ、サスペンスもありません。裁判モノとしてのスリリングな展開もありません。いわゆる「ヒューマンドラマ」なんです。そういった場合、その登場人物がたんなる記号だと、はっきり言って雰囲気だけで進めていく中身すっからかんの映画になってしまいます。画面を揺らして、ビートルズの曲鳴らして、クローズアップ多用して。ホント見事に全部雰囲気だよね。娘のルーシーも、ソーシャルワーカーのオバサンも、近所のオバサンも、全部記号でした。なんていうか、これじゃあ「ヒューマンドラマ」としては全然成立してません。リタも、それなりに描かれてはいたが、結局は主人公の都合に合わされている感じがした。まあ、そもそもこの映画、賞狙いですからねー。嫌ですねー。つまんねー。

それと、他のブログとか見てて思ったんですが、この映画を観て「これが親子の愛だ」って言ってる人がいるんだけど、その人は親子の愛について考えた事あるんだろうか。こんなべたべたな友達や恋人同士みたいな付き合いは親子の愛じゃないでしょ。叱ったり、嫌な事もあったりするもんだよ。この映画、そういう嫌なところ全部描いてないんだもん。キレイごとばかり、良いと思われてる事ばかり、楽なことばかり描いてる。こんなん誰が観てもその緩慢さに気付くだろうと思っていたんだけれど、驚く事にこの映画観て感動するっていう人が多いんですね。ビックリというか、恐ろしいというか。


劇場で『海猿3』の予告観て思ったんだけどさ、主人公毎回死んでね? てか、毎回同じ内容じゃね? 声出して笑っちゃったんだけど。いやあ、素晴らしいねえ。


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運命のボタン  まさに「出口なし」

運命のボタン
運命のボタン(the box)』という映画を観ました。上映当初はキャメロン・ディアス主演のサスペンスとして、そしてその特異なプロットもあってけっこう話題にった映画です。


あらすじ
簡単に言うと、ある家庭にヘンテコな箱が送られてきてですね、胡散臭いおっさんがカギを持ってセールスに来るんです。そのカギで箱を開けるとボタンがついてて、どうみてもウルトラクイズのボタンに見えてしまうんですが、これを押すとどっかで誰かが死ぬけど、100万ドルあげますって言われるんです。ホントにクイズ番組かっ、て突っ込みたくなるんですが、どうしようどうしようって悩んだ挙句に、ポチッとなってやっちゃって・・・。
ていう話です。詳しくは→goo映画(ネタバレなし)


感想
まあ、こんなに突っ込みどころ満載でそれでいて笑えなくて世界に入っていけない映画は久しぶりに観たような気がする。普通、突っ込みどころ満載っていうと多少笑えて微笑ましいところがあるものだが、この映画は全くそれがない。どうしてだろう。都合のいい展開や、鬱陶しいぐらいの説明ぜりふ。些細な事に対する大袈裟なリアクション、演出。得意の警察オチなど、たいていの映画だったら笑って観てしまい、後で話のタネにでもしてしまうのだが、この映画にはそういう考えが起こらない。終始まじめな顔で観続け、まじめな顔で「つまらなかった~」と言ってしまうのだ。

まず、これは脚本が稚拙すぎる。ネタは良いですよ、ボタンを押したら誰かが死ぬけど良い事が起こる、ってのは。元々トワイライトゾーンの話ですしね。ただ、どうしてそれに悩むの?まず疑うでしょ普通に。オレオレ詐欺とか変なセールスとかだってあるんだし。70年代にも詐欺はあるでしょ。人物のリアクションが異常すぎて、リアリティがなさすぎる。顔にハデな傷がある老人に面と向かって嫌な顔しないよ。脚ちょっと悪いからって障害者の気持ち理解出来るわなんて思い違いも甚だしいし。まあでも映画ですからね。そういうのは物語内で成立していればいいんです。この映画では登場人物は皆一貫して異常なリアクションします。
ただ、劇中で『出口なし(サルトル)』が語られたりするところ、人間の精神面を語ろうとしているんでしょう。それなら、登場人物の精神状態をリアルに描写してほしかった。だから、ようするに脚本が下手なんですよ。例えば序盤の展開を簡単に並べると。
・箱が届きました。 ・それぞれ仕事に行きました。 ・職場で伏線張られました。 ・箱の送り主来ました。 ・説明されました。 ・一所懸命悩みました。 ・ポチッとな。 ・殺人事件のカットバック。 ・おっさん来る。 ・サスペンス。
もうグチャグチャ。これ、もっとスマートにできないかなあ。そもそもプロットが2時間ドラマ向きじゃあないから伏線張ってなんとか伸ばすのはわかる。でも超おあつらえむきっていうか、くどい。鼻血もNASAも火星も貧乏も障害も全部、1カット挿めば済む事じゃない?それを何度もうだうだうだうだ。まずそこで萎える。しかも、物語上の展開はボタンを押すだけっていう・・・。まあプロットがこれじゃあしょうがないか。
でも、もう少しうまく進行させてほしい。例えば、主人公夫婦の表情の変化をうまく描写するとか。それには例えば、劇中で日付表示する時計みたいなのから入ってくシーンがあったんだから、それを頭に持ってきて日々の変化を表現するとか。もっとやり方はあったと思う。

序盤だけじゃなく、それ以降もこういった不細工な脚本が続くので、突っ込みどころ云々よりも真顔で呆れてしまうのだ。主人公夫婦に対し「どうして●●しないの?」とか「ともだち!じゃないんだから」とか「目と耳なくしたら価値なしなの?」とか、そういう突っ込みしてたら「出口なし」ですよ、って事だ。ていうかサルトル涙目だよ。
それにさー、ボタン押したら誰か死ぬっていうけど、その関連性は誰がどうやって証明するんだ?押さなくたって死んでるってのにさ。そんなん常に全世界の人間を観測できていないと、証明できないよ。100歳以上の老人の生死すら確認できないってのに。だからそのあたりでグッとリアリティ下がっちゃうんですよね。逆にそこをどう生かすかっていうのも、脚本家の腕の見せ所ですけどね。


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theme : アメリカ映画
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プロフィール

ホモルカ

Author:ホモルカ
札幌在住。おとこ。
ボケ防止でブログ開始。
ボケ担当。
学校で映画を勉強。
でもブログは好き勝手書くよ。
映画について質問あればコメントくださいな。

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