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母なる証明  愛情とは何か

ネタバレすると思うよ。








母なる証明
今日は『母なる証明』という韓国の映画を紹介します。監督はヘンテコ監督ポン・ジュノ。主演はお母さん役に韓国ベテラン女優のキム・ヘジャと、その息子役に韓流四天王でかなりのイケメンなウォン・ビンです。ヘンテコ監督ってのは、まあ前回ジョン・カーペンターのことをまともと言いましたが、今回のはマジです。正真正銘のヘンテコです。どの辺がヘンテコかっていうと、う~んと、え~っと、画が・・・。違うなあ。わかんないや。まあ感覚的なことしか言えないけど、殺風景なんだけど情緒的だったり、ユーモラスだけど突き放したり、グッと押してくるかと思ったらいっこうに来なかったり。なんていうか、一本の映画内での振り幅がエライ大きい監督。まあそうやって言葉で形容するよりも、まず観ればきっとわかります。
詳しくは→goo映画(ややネタに触る程度)


わし的ストーリー(今度こそネタバレ)
舞台は小さな町。知的障害者のトジュン(ウォン・ビン)は母親(キム・ヘジャ)と二人暮らし。トジュンはあきらかに母親なしでは生きていけないし、一方の母親も、働きながら常にトジュンを気にかけていて、要するにお互いの存在なしでは生きていけないようだ。
そんなある時、少女が死体になって発見される。その容疑者はトジュン。 「なにかの間違いだ!」 母親はそれを全く信じない。トジュンも殺したという記憶が全くない。記憶はないが、否定もできない。思い出したことと言えば、幼いころ母さんに農薬を飲まされて殺されそうになったことだ。それを聞いた母親は発狂しそうになる。そしてトジュンに、「嫌な記憶を消しさるツボに針を打つ」と促すが、今度は針で殺そうとするのかと突っぱねられる。
 「ああトジュン。愛しいトジュン。あなたはきっと無実なのよ。母さんが必ず牢屋から出してあげる」  独自に捜査を薦めるうちに、新しい容疑者が浮かび上がる。それと同じに一人、トジュンが犯行に及ぶのを目撃したオッサンも出現する。無実じゃない?!でも構わない、あの子を守るため。まずは証拠を消さなければ。母はオッサンをぶち殺し、家に火をつけた。これでトジュンは大丈夫よ。
 そして彼は釈放になり、新しい容疑者が逮捕されることになった。これでまたトジュンと安心して暮らせそうだ。でも母さん、トジュンが言う。
「母さん、これ忘れちゃあダメじゃないか」
そういって渡されたのは、針灸の針が入った缶。オッサンの家に忘れたままだった。え? トジュン、どうして知ってるの?あなた、ほんとは全部知ってるの? あなたはトジュン? 私が愛してたトジュンなの? 母親はバスの中で、記憶をなくすツボに針を刺し、やがて晴れやかに踊り出した。


感想
映画の冒頭で、母親が一人草原で踊るシーンが入ります。観ている側としては何だこりゃってなるわけだが、ここは冷静にいかなければいけない。こういう冒頭のトンデモシーンていうのは必ず映画のどこか(とくにラスト)に繋がってくるからです。例に出すと『パンズ・ラビリンス』(過去記事)とか。ましてやこんなヘンテコなシーン、単体で放置されるということはないので、監督の演出にしてやられた~!っていう気になりたくない負けず嫌いな人は、是非頭の隅に確実に置きながら鑑賞して下さいな(わしがそう)。
んで案の定、ラスト付近、オッサンの家に火を放った後に踊るシーンが入って冒頭に繋がるわけだけど、これ、何か思い出しませんでしたか? 青い服を着たオバサンが黄色の草原で踊る。青き衣をまといて金色の野に降りたつべし。これ『ナウシカ』なんですよ。『風の谷のナウシカ』も青き衣をまとった少女がオーム達の怒りを抑え、人間とあらゆる生物自然を愛するという言ってみれば究極の母性を描いてるわけですが、この映画でもそうなんです。息子を絶対の愛で包む母親のその究極の母性。善も悪もすっ飛ばした母親の愛。政治も社会も母性の前では幻想で、言葉や科学を超えた、女としての、母親としての証明。母性です。それがあの冒頭と後半の踊りのシーンに集約されている。息子を守ったという安堵感。達成感。
そしてラストのバス内での踊りにリンクしてくるわけですが、母親としての役割を失いかけたところで、その事実さえも気し去ってまた母性を取り戻す。その事実っていうのは、息子のスペックの大きさ。実はあたしが保護しなくてもなんともないのではという疑惑。それは全てを息子に捧げてきた母親にとって恐怖である。奥まった仕事場からも常に息子に目をやっているというシーンや、ベッドで一緒に寝るシーン、小便を処理するシーンなどからもいかに息子を気にかけていたかがわかる。それは近親相姦的とも言えなくもない。なぜなら一方的な愛ではなく、お互い依存しあって成立している関係だから。まあでもそんなエッチな感じじゃあないけどね。突き詰めてくとそうなる、ということで。

映画の脚本もきちんとしてました。個性的ではあるけど、ツボはきちんと押さえていく。やっぱ基本がしっかりしてるんだなあと改めて思う。邦画の企画モノみたいな映画(テレビ映画)とか観てると恥ずかしくて直視できないときとかありますからね。いや比喩じゃあなく、まじに。さっむいギャグとかさ~、お笑い芸人出てきて内輪ネタやるとかさ~。『ワラライフ!!』の記憶がほとんどないもん。忘れるツボ刺してないのに記憶から消えたよ。すごいね~。『ツーリスト』(過去記事)もいつか忘れるだろうと思ってたけど、まだ覚えてるからね~。それより先に忘れるってことはよっぽどだよ~キム兄(知らないけど)。もう映画撮らな・・・。

おっと、話逸れたな。はい、それから刑事三人良かったですね~。キャラ立ってますよね~。台詞もほとんどないんだけどね、あの佇まい、顔、それを引き出すカメラがいいね。映画観てるって気になるね。それにしてもポン・ジュノさん警察に恨みでもあるのかなあ。全く役立たずですよねいつも。ラストのバスの画も良いね。周りがわいわいやってる中に自分も入ってくというあの感覚。ああ、堕ちたな、という感覚。これはわしの勝手な感覚だけど、野球観戦にたまに行くんですが、外野で観てるとみんな応援団に合わせて統制のとれた応援するんですね。で、わしはそういうの嫌で静かに周囲に逆らって野球観てるわけですが、最後の最後まで負けててとんでもない逆転とかした時に、皆と同じ応援とかしたくなるんですよ。えーい、やっちゃえという。これに似てるなあと。まあ、勝手な感覚ですが。


まとめ
非常に好きな映画です。こういう振り幅の大きい映画をこの監督はよく撮るんですが、それでいて画作りや演出に非常に優れています。色んな引き出しを持っている感じです。まあ、何て言うかなあ、映画の色んな面を観せてくれる監督かなあ。さっきから同じことばっか言ってるような気がするなあ。というわけで、かなりお勧めです。っていうかこういうの食わず嫌いな人いるのかなあ。『グエムル-漢江の怪物-』がこけたぐらいだからね。こける理由がわからないけどね。こけるってことは、客が入らなかったってことでしょ? 観る価値は充分にあると思うんだけどね。トンデモ映画ですよあれも。トンデモヘンテコ怪獣映画です。


母なる証明  amazonです。
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theme : 映画紹介
genre : 映画

ダーレン・ポランスキー  ブラック・スワンの続き

前回『ブラック・スワン』(過去記事)についてサクサクっと書いたんだけど、別に批判してるってわけじゃあなくて、たんにプロット自体はそこらじゅうによくある話だってことと、それを描いていくシナリオそれ自体もさほど力はないってこと。簡単に言えば、そんなに上手い話しじゃあないってことね。
でもそれって、わしは批判してるつもりじゃあないんです。
プロットがありきたり、展開が読めるっていうのは、それこそ映画をたくさん観ている人なら誰もが感じることで、それは今作じゃあなくとも、あらゆる作品を観ていくうえでその度に感じることでもある。もちろん感じさせない作品に出くわすことだってあるが、そんな体験は映画史が100年も続いてしまった今ではごく稀であるわけ。
大切なのは、どう構築していくか。・・・だと思う(弱気)。ありきたりなプロット。テーマ。展開。それをどう見せていくか。どう伝えるか、だ。

まずこれらテーマなどについて、映画って大雑把に言って2つに分けることが出来る(極論ね)。
直接描写して見せるか、観客に考えて感じさせるか、の2つ。
直接描写する場合、大事なのは演出力になる。感じさせる場合は、シナリオの妙が重要になる。
『ブラック・スワン』はというと、直接描写するタイプの映画だ。主人公ニナが観るもの、感じること、行動すること。それはすなわち、観客が映像を通して直接観ているものである。ニナが体験していくことを観客に疑似体験させることで、この映画は進行していく。華やかの舞台も、そこにたどり着くまでの苦労も、日々の悩みも葛藤も、性への目覚めも、母親との微妙な関係も、全て映像に映っている。
だから、それをどう見せるのかが重要になってくる。
説得力を持たせるよう細部まで緻密に作り込んでいったり、あっと驚くような仕掛けを用意したり。

ダーレン・アロノフスキーはとても上手く演出していたと思う。全ての演出に意図を感じたし、方向性もぶれていなかった。
方向性と言うのは、今作で言えば、不安定さである。ニナの精神の不安定さをいかに演出で表現するか。画面の揺れや、サブリミナル、音、メリハリのある演出(わしはやりすぎに感じたが、意図は汲み取れる)、画面の明暗や構図、タイミング。何がフレームインしてきてもドキュメンタリータッチである以上、嘘じゃあないような気がしてしまうという演出(アンビリバボー的演出)。実に見事だと思う。

だからこの映画は面白かった。そしてすっごく怖かった。
シナリオで驚かせることはない。それを必要としていないから。
でも、CMや予告、耳をふさいでても入ってくる情報を集約すると、もっと何かとてつもない内容が詰まった映画なのだと想像してしまう。わしのまっさらにしたつもりの頭にも、最低限の情報と雑音で映画の方向性を決めつけていた嫌いもある。それを踏まえて観たうえで、先日の文章になる。
CMや宣伝や周囲の声とは違うタイプの作品だったということだ。映像が全て語っている。直接描写されている。これらの作品への最大の誉め言葉は、「面白い」だ。無論、わしはこの映画を面白いと思ったよ。


では逆に、直接描かずに観客に考えて感じさせる映画とはなにか。
それは、メタファーが多い作品。映画に映るものが色々なものに置き換えられることで、初めてカタルシスが得られる作品。
わしが思うに、例えばフェデリコ・フェリーニの『道』とか『甘い生活』(フェリーニ作品はこの手のが多いと思うよ)。ヒッチコックの『めまい』なんかもそうだと思う。あと、ヘンテコ映画にもこういうのは多い。う○こ食う『ソドムの市』とか。邦画で言えば、初期の森田芳光の映画『家族ゲーム』とか(初期作のが良い)。
これらも基本的には疑似体験させていくが、それによって得られる情報だけでは大した意味をなさないという傾向が多い。まあ例えば『ソドムの市』でう○こ食うのは直接的な描写でそのままの解釈もできるけど、実のところ人間がいかに欲深いかを暗示しているというシーンでもある。
重要になるのは、シナリオ、ちゃんと言えば脚本になってくる。どんな展開か。そしてそれが何を象徴しているのか。そしてその展開がどんなにパワーを持っているか。う○こを食うぐらいの力は持っていなくてもいいが、どれだけ客にインパクトを与えるかは重要になってくる。誰が、何をしたか。何を喋ったか。何が置いてあったか、飾ってあったか。それら全てに意味があり、表面だけではないメタファーの部分で構成された脚本。非常に上手く徹底して巧妙に書いていかなければならないわけ。
『ブラック・スワン』はこっちではないでしょ。完全にどっちとかってのはないけど、やはり直接的なほうだ。逆に『甘い生活』ってのはとことんこっち系で、最初から最後までメタファーで構成されている(よな気がする)映画。午前10時の映画祭でも上映するみたいなんで、今度このブログで紹介してみようかな(軽いノリで)。その時にまた詳しく説明してみようと思います。


ま、これだけは言える。『ブラック・スワン』は劇場で観るべき。是非逃げ場のない状況で観てほしい。それに音と映像はすごいからね。も一つだけ言うなら、是非ロマン・ポランスキーさんの映画(初期の方)も観てほしい。え? 『戦場のピアニスト』? それはそのうちでいいよ。


ブラック・スワンの過去記事へ行く



theme : 映画
genre : 映画

ブラック・スワン  ロマン・アロノフスキー

物語の核心に触れるかも。
触れないつもりで行きますが、きゃーこの人触ったわよーって言われる可能性もあるので、予め書いときます。












ブラック・スワン
先日『ブラック・スワン(Black Swan)』(ウィキペディアはネタバレなので要注意)を観てきました。場所はシネマフロンティア。客はたくさんです。監督はダーレン・アロノフスキー(舌回らない)。もはや売れっ子ですね。役者は永遠の優等生ナタリー・ポートマンと、世界三大チンピラのヴァンサン・カッセル。そして映画『ザ・ウォーカー』(過去記事)でホワイト・スワンのような少女を演じミラ・キュニス。年老いたプリマにウィノナ・ライダーです。
時間がなかなか合わなくって、観たい気持ちがどんどん盛り上がって行く中、ちょっとネットやらで下調べしちゃおうかなあ、なんていう欲求が膨らんできましたが、それに打ち勝ち、無事先入観なしで、情報を入れずにまっさらな頭で観に行くことが出来ました(だからこんなに怖いとは思わなかった)。


わし的ストーリー
メンヘラ女のニナ(ナタリー・ポートマン)は母親の影響もあって、バレエに生活の全てを捧げている。
ある日、彼女が所属するバレエ団で、『白鳥の湖』をやるということになった。スケベ監督のトマス(ヴァンサン・カッセル)は主役のプリマを選ぶべくオーディションを開くが、ニナはもう少しのところで落選する(ちなみにプリマとはハムのことじゃあなくて主役のこと)。
納得がいかない。オーディションでは完璧だった。ミスもなかった。誰よりもうまく踊れた。なのになぜ私が選ばれないのか。それには理由があった。
『白鳥の湖』のプリマは二役を演じなければならない。清らかな心の持ち主で、汚れを知らない清純なホワイト・スワン役。そして男を誘惑し、欲望のままに行動するブラック・スワン役である。ニナが演じれば、ホワイト・スワンはまるで問題ない。ハマり役だし、右に出る者はいない。だがブラック・スワンができない。ニナの性格、経験から来る踊りのクセが、ブラック・スワンからは程遠く、演じても説得力もないし、迫力もないのだ。ブラック・スワンのハマり役は同僚のリリー(ミラ・キュニス)だった…。
それでもバレエが生活の全てであるニナは諦めきれず、監督のもとに懇願に行く。なんとしてもプリマをゲットすべく、化粧もバッチリ決めた。その甲斐あって、スケベ監督からキスされるが、逆に唇に噛みついてしまう。
「痛てえ、でもキミ! それ良いよ!」
ということで、なんとかプリマをゲットしたものの、自分はもっと悪女にならなければならないという強迫観念にとりつかれる。男を誘惑したり、性的な喜びを得なければならない。じゃなきゃリリーに追い抜かれる。快楽を求め、自由奔放に生きるべく自分を変えなければ。ニナは本当の自分を徐々に見失っていく。白鳥なのか黒鳥なのか。王子なのか監督なのか。私なのか白鳥なのか。リリーなのか私なのか。やがて、一人二役を演じているのはバレエなのか、現実なのか曖昧になって行く…。


感想
まず、開始10分、いや5分くらい(測ってなかった)であることを思いました。多分、観たことがある人ならみんなわかってくれると思うんですが、「これ『パーフェクトブルー』だろ」です。
どこで思ったかと言うと、列車のシーンです。あの構図、ほとんど『パーフェクトブルー』のまんまですよ。ただし自分は話しかけてこないですけど。開始5~10分でそう思ってからというもの、それ以降ず~っと、事あるごとに
 「これも『パーフェクトブルー』」「あれも『パーフェクトブルー』」「ここは『イヴの総て(All About Eve)』」
と思うようになってしまいました。具体的にどこかを言うとネタバレになってしまうからやめておこうと思いましたが、軽く言います。まず絵がね、壁に飾ってある絵が・・・。『パーフェクトブルー』でもありましたよね。モロパクリってのはガラスね。それ『パーフェクトブルー』です。あと先輩プリマはあれ『イヴの総て』です。あの性格に問題アリのベスってのはベティ・デイヴィスじゃあないの~(まあでもスペルbethかな)? 宴で新人紹介するとこなんて、まんまですよ。
 てな感じで、終始こんなことばっか考えてるもんだから、ストーリーにグッと惹かれるってことはなかった。逆に言うとそんなにシナリオに力があるとは思えない。まあ考えてみると『レスラー(The Wrestler)』と似てるっちゃあ似てる。なにかに生活を傾けてる人間の生きる場所を描いたって言う点でね。だからなんていうかなあ、この映画結構絶賛してる人多いですけど、わしが良いなあと思えたところは一部の演出だけでした。それは、アンビリバボー恐怖映像特集的演出です。
 どういう演出かっていうと、見せたい部分をあえて客に任せる演出です。当たり前ですが、演出家っていうのはその場面(シーン)で起こってることを映像で客に伝えるというのが仕事です。だから、時計の針が12を指したことを伝えたかったら時計のアップに画面を切り替えるし、信号が赤になったことを伝えたければ赤信号のカットを挿れます。簡単です。伝えたい個所にカメラを寄せたり、アップで映したカットを挿むんです。しかしこの映画、それと逆のことをしてました。あえて寄らないんです。カットも挿みません。そういう演出のシーンが何カ所かありました。ニナが誰もいないアパートで部屋を開けると壁一面に絵が貼ってあって、ニナはそれに目をやってすぐ部屋から出ます。でもカメラは彼女を追わず壁の絵に向けたままで、すぐにシーンが変わります。でもこのほんの1秒にも満たない部分、彼女が部屋から出て行った後の壁の絵を映す時間、そのわずかの間に絵の一部が動くのです。アップもなしカットインもなし、効果音もなし。まるでですね、「おわかりいただけただろうか・・・」って声が聞こえてくる感じなんですよ。わしはこの演出、ゾッとしました。あれ? 今動いたよな? って聞きたくて聞きたくてしょうがない感じになりました。
で、実はこういう演出がこの映画けっこう多くて、上手いなあと思いました。以前紹介した『シークレット・サンシャイン』(過去記事)でも同じ演出箇所があって、確か部屋で子どもの話をこっそりしてるんだけど、子どもが自分の部屋のドアを開けて聞き耳たてているっていうのを寄りなしで流してたと思います。だから気付かない人もひょっとしたらいるかも知んないけど(ちゃんと観てれば気付く)、気付く人にはより響くというか、なんていうか「引きの演出」ですね。
他にも鏡で自分を眺めるシーンも印象的でした。以前から鏡はスリラー要素で非常に重要だと言ってきましたが(まさにビンゴでうれしい!)、やってくれましたね~。『何がジェーンに起ったか?』(過去記事)で書いたのと一緒で、鏡は女性の心理の象徴です。そこに映るものが何か、という恐怖もありますが、鏡という常識、必ず反射するという常識を覆されたときに生じるズレや、あるいは常識がズレるのではという緊張感がスリラーを引っ張って行きます。この映画では本当に、ちょっとだけズレてました。ですがそれもアンビリバボー的演出で、「おわかりいただけただろうか」って聞こえました。

ただ、こういった「引きの演出」とは全く180度違う、過剰な演出もありました。好き嫌いと言ってしまえばそれで片付いてしまうが、わしはハッキリ言ってダサいと思いました。それにラスト付近でそれをやってくるもんだから、一気に今までのトーンが崩れ落ちました。これが『パーフェクトブルー』なら良いんですよ。アニメだから。これは実写ですからね~。そこまでやっちゃうと、お笑いになってしまう。ニナのイッちゃった脳内での映像だから、変換されてそうなってるっていうことで、いわゆるメリハリをつけたくてやったんだろうけど、それはポップコーンムービーでやってほしい演出ですよ。それにラストはあのデーモン小暮みたいなメイクだけで充分メリハリついてますし。だから、あのホントのラストの舞台、ターンしてターンして翼になって…、じゃあなくてさ、ターンしてターンして、でも影だけは翼になってるっていうので良かったんじゃあないかなあ。あ、鳥の脚は笑った。

他に特徴と言えば、カメラワークと音ですかね。まずカメラワークですが、サクッと書けば手持ちのグラグラ撮影と人物のクローズアップ多用。要するに安っぽいけど、わざとそうしてる。ドキュメンタリータッチってやつ。その証拠として、移動シーンをカットしないですね。手持ちで人物の背後から追って行って、部屋に入る。そこで他の役者とのアクションがある。それをまあ長回しで1ショットで回す(カット挿んでも一連の流れに沿ってる)からある種の緊張感というか、本物っぽさが生まれる。マイケル・ムーアの突撃取材を観ているような気分になる。
もう1つは音。ダンスのシーンでもカメラが寄って、息遣いと床を滑る音を生々しく拾ってました。キュッキュッ、ハァハァ、ってな具合。観客は踊りを客として観るのではなく、踊っている側としての観ることになります。これらは『レスラー』から引き継いでいて、まるっきり同じ演出方法です。


まとめ
この映画、全くオリジナリティや新鮮味がなさそうなくせに個性的でした。ウィキペディアには、監督本人の話として『リプルション~反撥~』や『テナント/恐怖を借りた男』が大きな影響を与えた作品だと書かれています。確かに幻覚と現実の区別がつかなくなったり、自分が他人と入れ替わって行くというのは同じですし、撮影も似てます。まあサイコスリラーだから必然的にカメラワーク・構図は近くなるんですよね。
それとやっぱりどう考えても『パーフェクトブルー』からかなりの影響を受けているし、演出面だけじゃあなくシナリオ面でもかなり参考にしてますよ。まあリメイク権を持っているとかそういうのがあるから放置でいいんだっていうものなのかもしれませんが、今敏さんに捧げますぐらい出してほしかった。タラちゃんだってやってるんだよ。
 他にも『ファイト・クラブ』や『アマデウス』、『シャイニング』が思い浮かんだ。特に物語後半はほとんどお化け屋敷的な、ビックリ箱の連打だから『シャイニング』っぽい。ただホントに怖いし、引きが上手い。ここでは書かなかったけど、お母さんが…。あ、いない・・・。うわ、いたー、ってとこなんか笑えるぐらいビックリした。あそこは、あ~くるくる~って思ってて来なくて、一瞬安心したんだよ。でも、いや待てよ、まだ油断するなって脳が指令を出したのと同時にきたから、時すでに遅し。って、気になる人は是非劇場で。周りが言うほど完璧じゃあ全然ないし、シナリオも別段優れているわけではないです。現実と幻想の境目とかなら他にも腐るほどありますし。でも観て損はないです。まあ観て損な作品なんてほとんどないですが。

ちなみにわしが最初に買ったDVDはなぜか『アマデウス』だった。


ブラック・スワン  公式です。
ザ・ウォーカー  amazonです。
パーフェクトブルー  amazonです。
イヴの総て  amazonです。
レスラー  amazonです。
シークレット・サンシャイン  amazonです。
何がジェーンに起こったか?  amazonです。
リプルション~反撥~  DVD Fantasiumです。
テナント/恐怖を借りた男(VHS)  amazonです。
ファイト・クラブ  amazonです。
アマデウス  amazonです。
シャイニング  amazonです。

ずいぶんイッパイだな 気持ちイイや


ブラック・スワンの続きへ行く


theme : 映画感想
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バーン・アフター・リーディング  cockやらdickやらfuckers

バーン・アフター・リーディング
今日は『バーン・アフター・リーディング(Burn After Reading)』についてウダウダ書こうと思います。なんでかっつーと、そろそろ『トゥルー・グリッド(True Grit)』が日本に来るじゃないですか。『トゥルー・グリッド』といえば『勇気ある追跡(True Grit)』のリメイクでコーエン兄弟が監督じゃないですか。『バーン・アフター・リーディング(以下BAR)』もコーエン兄弟じゃないですか。え? それなら『ファーゴ(Fargo)』とかの方がコーエン兄弟らしい映画だって? みんなそう言うんですよ、『BAR』はらしくないってね。だから取りあげました。
詳しくは→goo映画(ネタバレしてるからDVD借りなされ)


わし的あらすじ
CIA職員のオズボーン・コックス(ジョン・マルコヴィッチ 以下オジ―)は自身の飲酒問題を理由に左遷を言い渡され、自ら退職した。心中穏やかでないオジ―。だが家に帰れば愛の冷めた妻がヒステリックにわめきたてる。仕事を失い時間が余った彼は、CIAの暴露本を書きはじめる。
一方整形にこだわる中年独り身女リンダ(フランシス・マクドーマンド)は職場であるスポーツジムの同僚チャド(ブラッド・ピッド)とあるCDを発見する。その中身はCIAの極秘情報が書かれていて、持ち主はオジ―だった。リンダは整形手術の費用にするべくオジ―を脅迫するが・・・。
そしてそしてまたまた一方女ったらしのハリー(ジョージ・クルーニー)は・・・。特に関係ないな。ていうか観てのお楽しみということにしておこう(あんま関係ない役?!)。


感想
まず冒頭、オジ―が降格を言い渡されるシーンから入るんですが、それが絶妙でした。わしは最高にグッときました。ほんとマルコヴィッチは良い! すごい! そしてカットの間の「間」ね。これはコーエン兄弟らしさ全開ですよ。
部屋にはボスと、同僚(らしき)のペック、そしてあまりよく知らない、おそらく他部署のオルソン。
ボスはオジ―を傷つけないように、というか機嫌を損ね面倒にならないように、降格を伝える。
オジ―「why? what the fuck are you talking about?」
すると横から
「You have a drinking problem」
とペックに言われ、マルコが首を向ける。そして「間」があき
オジ―「I have a drinking problem?」
この絶妙なタイミング。そして良い声。徐々にふてくされていく彼を「オジ―オジ―」となだめる周囲のお偉方。オジ―も「fuck」が口から出るようになる。「This is a crucifixion!(これは磔の刑だ)」
 ホントにね、この冒頭のシーンだけでご飯何杯でもいけます。何が良いんだろう? とても説明するのは難しいんですが、上に書いてきたように絶妙の「間」と、マルコの演技。それにカット割りがあると思われます。・・・ってことは全部じゃん、ってことになるんだよな~。だから、やはりコーエン兄弟の持つオリジナリティ、コーエンらしい演出にマルコの特徴的な演技がうまく回ってるんだと思います(そういうことにしておこう)。
ということで、じゃあコーエン兄弟らしい演出ってなんだ? ということになるわけですが、まあそれぞれ色んな意見があると思いますが、わしがまず思うのは、会話してる場面でのショットの多さとゆったり感です。
例えばありふれた二人の会話のシーンがあるとすれば、使用するしないは別としてまずマスターショット。これは位置関係を把握したり状況を説明するためのショットで、人物などが画面に映るように引きで撮影した映像のこと。それから肩越しに人物のショットをそれぞれ二つ。必要に応じてクローズアップもそれぞれ二つ。イマジナリーラインを越えないように撮ります。イマジナリーラインとは通称会話軸と言って、会話している人物同士に引く直線のことで、撮影はその線を越えない位置からします(小津安二郎は無視するけど)。こんな感じでざっと5つのショットで構成できます。
でもコーエン兄弟って、そこからさらに増えて、人物のバストショットも二つ(いわゆるポン寄り、ポン引きというやつ)、ズームインズームバックする映像。別角度からのショットやら、通常のショットと比較してもわからないぐらい微妙な寄り、もしくは引きからのショットなど、多数で構成されることが多いです。うん、多いような気がします。・・・いや、多いよ、絶対。
 ということで、まず特徴その1が会話シーンでのショットの多さです。でも、それなら他の監督でも多い人いるぜ~、って言われるかもしれません。まあ確かにね。ところがコーエン兄弟は、このショットの多さの割に、テンポは独特のゆったり感なんですよ。これが特徴その2です。
このゆったり感ってのは、他の監督で言うとタラちゃんとか。でもタラちゃんの場合は会話そのものが無駄話になっており、すなわち台詞自体からくるゆったり感ということになります。コーエンちゃん(ごっちゃになってる)のはちょっと違ってて、会話はけっして無駄じゃあない。でもゆったりしてて間が抜けてる。でも時にそれが独特の緊張感を生む、というつくりになっています(説明下手だな~)。なんとなくわかります? 例えば『BAR』での冒頭で言えば、オジ―がいつキレるんだろうという緊張感です。観客はその緊張感がこの作品だと笑いに変換されますが、これが『ノーカントリー(No Country for Old Men)』のハビエル・バルデム演じるシガーだったら、いっきにサスペンスになります。実際ガスステーションでのシーンはバリバリ張りつめてたでしょ? 受ける印象は違っても演出はコーエンちゃんそのものなんです。だから『BAR』だって充分コーエンちゃん兄弟らしいんですよ。

それからブラピうまかったですね。役者ってホントすごいなあ。ブラピの役は、バカだけど謎の多い男のフリをする気の弱い筋肉質なオカマちゃんっていう色々と相反する要素を内包した役柄で、それを顔芸と身振り手振り、話し方、言ってしまえば身体一つで表現してしまうんだからね~。やり過ぎるとクサくなるし、やらないと伝わらない。ヒステリックな奥さんティルダ・スウィントンも良かった。ジョージ・クルーニーとフランシス・マクドーマンドは役とぴったりそのまんまだけど。それを考えるとこの映画、役者の力でぐいぐい引っ張って行ってる感じがする。ストーリーなんてかなりひどいもんね。女に振り回される話でしょ? マルコヴィッチの「Fワード」連発で、ブラピのおちょぼ口とへの字眉その他で2時間もたせてる。改めて役者の力を思い知りました。


まとめ
あ~眠い(今夜中の2時)。役者役者って書いたけど、マクドーマンドなんてちょっと間違えばテレビ的な顔っていうか、安っぽい笑いに走ってしまいそうな見た目なのでこういうコメディに使う時は難しいと思うんだけど、彼女を中心に据えることによってうまく回避することが出来てる。これがわき役だと、笑わせ要因っていう押しが強くなりすぎて、逆に子供向けの一発芸になってしまっただろう(邦画によくあるパターン)。
そうそう、それと大好きなシーンで、マルコヴィッチがエクササイズのビデオ見て
「I’m bigger... I’m back... I’m better... I’m back... than ever... I’m back... Fuckers... I’m back...」
て言うとこ。最高ですよ。あのテキトーな動き、もうオッサン化して固くなってたるんでるんですね。もう一つ言うと、元スパイのハルからオジ―がブラピの情報を聞くシーン、あそこの二人がオジ―を見てるぞと言われて、マルコヴィッチが
「Can I help you?」
と言うんですが、その立ち方の鋭さ。いやあ、マルコヴィッチ良いわあ。グイグイ引っ張っていける役者だね。ホント、これでご飯全然いけますよ。
あ、ちなみにコックスってのはcoxだけどcockにするとチンポのことになります。だから車でブラピがマルコのこと「dickwad」って罵ったのはチンポとかけてるのかなあ、と。え? 深読みかな?


バーン・アフター・リーディング  amazonです。
勇気ある追跡  amazonです。
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theme : 俳優・男優
genre : 映画

菩提樹  古いから名作??

菩提樹
今日は『菩提樹(Die Trapp-Familie)』という映画について好き勝手に書こうと思います。
この作品は1956年に制作された西ドイツの映画です。「どーわどーなつーのどー」で有名な『サウンド・オブ・ミュージック(The Sound of Music)』も同じ原作を元に撮られていますが、『菩提樹』の方が10年早いですね。そうそう、『ぼくのエリ 200歳の少女過去記事)』と『Let Me In』と同じですよね。こっちも原作が同じであって、作品間のリメイク権とかは発生していないんですよね。
ってことで詳しくは→goo映画(ネタバレあり)


わしなりのストーリー
今さら言わずもがなですね。でもまあ一応書くとすれば、おてんば修道女が家庭教師として出向くが、その家の主であるトラップ男爵と男女の関係に陥ってしまう。そして一家みんなで歌いまくる。おわりです。まあそこにナチスが飾りで入ってくるぐらいでしょうか。
続・菩提樹(Die Trapp-Familie in Amerika)』は・・・。もういいでしょ。アメリカで歌うだけです。一応貧乏みたいです。セックスアピールもします。チラ見せあります。幼かった子どもが色づきます。危険な香りを放つ少女たちの白く伸びた手足を、ヤンキーどもが追い回します。黒人のたくましい・・・。もうやめます。『続・菩提樹』については書きません。


感想
まあということで、この映画はなんつーか俗に言う古き良き映画(?)とか映画界の名作とか、まあなんともキレイな言葉で収められることが多いわけですけれど、わしに言わせてみればですね、こうです
「クソ胡散くせ~退屈映画」
あ、こんなひどい言葉使ってますけど、けなしてるわけじゃあないです。面白いか面白くないかで判断すれば、断然面白くない(個人的にね)ということであって、それが全てってわけじゃあないですからね。面白くないけど有意義な作品もたくさんありますから。
その面白くない理由としては、サスペンスがないこと。エロもないこと。起伏がないこと。一方通行な展開なとこ。内面の描写ができてないこと。などなどです。総じてリアリティがないとも言えます。ここで勘違いしてはいけないのが、原作が回顧録であるということで、リアルであると決めつけてしまうことです。回顧録は主観です。主観だから自分の都合のいいように書けます。つまりフィクションと何ら変わりなくなってしまうということです。
わしがここで言うリアリティのなさというのはそう言った伝記モノどうこうということじゃあなく、それをいかに共感できるように演出するか、ということです。例えば奥さんがしゃしゃり出てくる場面での旦那のうっぜー感(ウザいなあこの女、という感情)をいかに画面に出すかとか、執事がナチだとわかった時の緊張感だとか、そういった空気感の演出です。それはもちろんカット割りで描くこともできますし、演者の表情一つでも表わすことができます。この作品ではただただ大佐のプライドの高さアピールと、それを操縦しようとする妻という構図であったり、厳格な親父とフランクなお姉さんだったりするだけで、そのときの感情の動きがなさすぎです。それがないことによって、展開がよめるぶん(安心安全の一方通行)、面白みがなくなってしまいます。説得力、感情移入にかけるということです。

その点、アメリカの映画は上手だと思います。『サウンド・オブ・ミュージック』では長女の恋愛などを絡めることによって心理描写を引き出しているし、国外に逃亡する重みも描けてました。やっぱりレベル高いですね。『ぼくのエリ』も良かったですが、『Let Me In』はエンタテインメント性をさらに増した感じになってました(面白かった)。


まとめ
本当にあったかどうか、というのがリアリティではなくて、うわ~あるある~、っていうのが映画で言うリアリティです。とんでもないプロットでも演出と脚本がうまければ説得力が生まれます。逆にそれが欠けると作品の質はがくんと下がります。
ただ古い映画というだけで名作じゃ~って言ったりする人がたくさんいますが、そういう人はたぶん映画を「知らない」人です。
・・・と、散々書いてるように見えるな。別に嫌いとかではないんだけど。観て損はないので、DVD鑑賞を薦めます。ただしつまんないけど。いや、つまんなくもないか。面白いです。いや、面白いかもです。っていうか面白そうです。うわ~面白そう!


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genre : 映画

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ホモルカ

Author:ホモルカ
札幌在住。おとこ。
ボケ防止でブログ開始。
ボケ担当。
学校で映画を勉強。
でもブログは好き勝手書くよ。
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