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ゆれる  3D映画です

ゆれる
今日は2006年の『ゆれる』という映画について書こうと思います。この映画けっこう評価高いんですよね。わしは天の邪鬼だから、批判したくなるけど、そんなの関係ねぇ!おっぱっぴー。もう死語なのか?
監督は西川美和。主演はオダギリジョー(弟)と香川照之(兄)です。二人が兄弟を演じています(似てねー)。もうDVDになってるので、バリバリネタバレします。
詳しくは→goo映画(DVD観たほういいです)


あらすじ
イケてないけど温厚でまじめな兄の稔と、イケてて写真家で自由奔放な弟の猛と、弟の元恋人で兄が経営するスタンドで働く智恵子(真木よう子)の3人はある渓谷へドライブに行く。そこで吊橋を渡ろうとした智恵子が川に転落し死亡してしまう。弟が駆け付けた時にはそこにはうずくまる兄しかいなかった。自分が落としたと供述する兄。兄を庇おう弁護士を立てた弟。弟は弁護士に兄の無実の証拠として、転落の瞬間を見ていた事を証言する約束をしたが…。


感想
正直な話、なんだそりゃって思いました。だって話は全然進んでいかないし、説明もないし(厳密に言えばある、後述)、カタルシスもなんにもない。過去のフィルム見てオダギリが号泣するのも(お前はサルヴァトーレかって突っ込みたかった)、ちょっとわからないかった。
それに回想シーンの内容があきらかに変わってるというのがわしは嫌だった。これは要するに物語の視点が弟で、彼の記憶の映像化だから回想の内容がはっきり変わっちゃってもいいってことだと思うんですが、それやったらキリないですよね。インセプションじゃあるまいし。最初に映像見せて、後半で違う視点から映すと新しい発見があった、っていうならサスペンスとして成立します。『めまい(Vertigo)』が代表的な例です。でも、こうやって後出しして、実は違ってましたーってやられると、何の感動もないし、驚きもない。ああそうだったのか、って思うだけ。だからその点ちょっと不満だし、映画の肝心な部分だっただけに、面白くないと感じた。

それからもう一つ気になる点があって、それはカメラを意図的に揺らす場面。数えてないけど、5か所くらいあったかな?これが要するに説明になってて、心理が変わるきっかけを暗示しているわけなんですが、安易すぎると思った。ってのはこの映画、非常に落ち着いた画作りで、かつ縦軸をうまく使った映像で成立している映画なので、この「揺れ」がすごく際立つ。際立つっていうのはつまり、すごくその部分だけ違和感を感じるわけ。誰が観ても、あれ揺れてる~、って気付くはずです。じゃあいいじゃないか、って思うかもしれないですが、違うんですよ。これ、タイトルが『ゆれる』でしょ? それがまずいんですよ。わしが感じた安易さはこのタイトルあってのもので、要するに映画ってのはまずタイトルから色々連想する。この場合だと心の揺れか、関係の揺れか、或いは吊橋の揺れか、真実の揺れか。そうやって何を暗示してるかを考えているのに、画面がそのまま揺れちゃってたらがっかりくるわけですよ。しかも面会室とか、ハンディを使う必然性も全くないシーンだし。そのあたりの演出がわしはすごく残念に感じた。

それから音声。ていうか音量の差がありすぎ。これだけはっきりしてるってことは作り手が意図してやってるんだろうけど、その前に鑑賞に支障をきたすレベルの事はやるべきじゃあないと思う。だって、全っ然聞こえないから音量上げたっけ、いきなり伊武雅刀が怒鳴り出して飛び上がりましたよ。で音量下げたらオダギリが何言ってるかわかんなくなるしさ。ホントこれはなんとかしてほしい。この映画に限った事じゃあないが、セリフぐらいはもっと均一な音量にしようよ。浅野忠信とかも聞こえないんだよね。

それと検察官の木村祐一の演技の酷い事。まああれが味があって良いっていう人(そんな人いるのか?)もいるのかも知れないけど、あれで一気に冷めちゃうんですよ。棒読みだし、役柄に合ってないというか、何でこの人をキャスティングしたんだろう。何か意図して選んでるわけだろうけど、わからないなあ…。

そしてラスト。オダギリが何で兄を追うのか。フィルム見て泣いてから追うわけだけど、まあフィルムの内容ってのがまたわかりやすくて、子どもだった二人が手を繋なぐっていう内容なんですよね。それ見て吊橋での記憶を回収し、兄の無実を知り、出所する兄を迎えに行くわけなんですが、これどういう事なんでしょうか。言ってみれば、記憶を回収して展開するのは2パターンしかなくて、弟が兄を迎えに行くか、迎えに行かないで終わるかです。この映画では迎えに行きますが、兄と会話するわけでもなく特に進展もないですよね。つまり8ミリを見て描かれることは、
1、弟の誠意(罪悪感も含め)
2、兄のさわやかショット
3、観客に対する真実の提示
ぐらいです。ということは、この3つに作品上の意味が盛り込まれているということになります。
1は、物語上の着地ですよね。なんとなく反省してます、っていう着地。要はオダギリを嫌いにならないでっていうメッセージや、物語としてのオトシマエ(甘いけど)。
2の意味。これは説明のしようが全くないが、あえて言うなら、弟の呼びかけへのレスポンスだということ。要するに、弟と縁を断ち切ったということでしょう。悲しい顔をすれば弟は罪悪感から兄を追い続けますし、あからさまに喜べばそれはそれで兄に接近してくる。あの微妙な微笑みは弟を安心させ、それでいて兄の感情はそれまでと同じで表情の向こう側、ということ。これもある意味着地ですが、物語通して弟の主観で兄の心理が具体的に描かれないので、兄が赦してくれた~わーい、という美談だと思う人がいるかもしれません。全く違いますが。
3はそのままですね。実は兄は無実ですっていう事。それが真実かどうかはわからない、という人がいますが、違います。少なくともこれは真実なんですよ。物語上の真実なんです。

以上を踏まえると要するに、弟はひどい奴だということをここでは言ってるんですよ。それまではさんざん兄をひどく描いてて、欲望を内面に秘めた気色悪いオッサンで、童貞(?)で客の言いなりで弱くて好きな女の子にも好きって言えなくてみじめで、それでいてキモイ~って言われて憤慨して人殺してわけわかんない言動までし始めるようなオッサンとして描かれているのを、ラストで一気に逆転してしまってます。この弟こそひどくて自分勝手でウソつきで他人を貶めるような最低の人間だっていうことを描いてるんです。この9回裏の逆転は面白いなあと思いました。
ただ、8ミリ見て泣くのはよくわからないと思いました。古き汚れなき記憶という薄皮で覆って美談にしてしまおうという意図がほんの少し見え隠れするからです。わしの考えです。


演出の特徴
この映画は非常に凝った演出をしているなあと思いました。それは近年のテレビ的な演出とは全く違うもので、極力セリフを排した説明と、クローズアップの乱用をさけるということによく現れてました。それから、前述しましたが、縦軸(奥行き)を非常に使った映像で多くて、あえてパンフォーカスにせず、後ろにいる主要人物をぼやけたまま画面の中に入れていた。だから客はなんとなくオダギリがいるな~とか感じるわけで、わしはそれに生々しさを感じました。まさにの3D的体験でした。
セリフを排した説明というのはわかるだろうが、例えば切りかけのトマトが放置されているカットだとか、伊武雅刀が洗濯物してたりだとか、水を噴き出し暴れ出すホースだとかです。それぞれが状況や心理や立場を表現しているわけです。

それにしても、香川照之すごいっすね。皆誉めるから誉めたくないんだけどさ、誉めざるを得ないです。マジキチです。オダギリさんも良い演技しますね。ていうかこの兄弟の役割、『恋のゆくえ ファビュラス・ベイカー・ボーイズ(The Fabulous Baker Boys)』と同じに思えてしまう。あっちは温くて上手に着地したけどね。

というわけで、最近邦画をけなしてばっかりだったので、ちょっと長々書いてしまいました。まだ観てない人は観てくださいな。ああ疲れた。


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Author:ホモルカ
札幌在住。おとこ。
ボケ防止でブログ開始。
ボケ担当。
学校で映画を勉強。
でもブログは好き勝手書くよ。
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