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ぼくのエリ 200歳の少女  北の国から2008 ~駆け落ち~

ぼくのエリ 200歳の少女
まあ内容は2008年じゃないんですけどね。
ということで先日ようやく『ぼくのエリ 200歳の少女(Låt den rätte komma in)』を観ました。上映当初から話題になっていた映画ですが、北海道ではシアターキノでしかやってなくて(確か)、その時ちょうど都合が悪くて行けずそのまま流れてしまいました。
製作国はスウェーデン。2008年の作品なので、2年遅れで日本に来たんですね。ああ遅いなあ(イライラ)。ちなみにわしは原作を読まずに観ました。ていうかほとんど予備知識なしで観ました(楽しみだったから)。それを踏まえて書いていきます。
詳しくは→goo映画(ネタバレなし)


あらすじ
いじめられっ子で超内気な12歳オスカー君。彼の住む町で頸動脈を切られ血を抜かれた逆さ吊りの死体が発見される。オスカー君もそういうのに少し興味を持ち、憂さ晴らしも兼ね、夜にこっそり家の前にある木をナイフで傷つける。「この豚め、鳴き叫べ」 それを隣に越してきた同い年ほどの少女に見られてしまい、そこで二人は出会う。彼女の名はエリ。およそ普通の女の子とは言い難く、半袖なのに寒くないと言ったり、年齢もだいたい12歳ぐらいだと言ったり、誕生日もわからないと言う。そんな不思議ちゃんなエリにオスカーは心惹かれていく。だが一緒に町をデートしてる時、彼女のためにキャンディーを買ってあげるが、エリは一粒だけ口に入れるとそれを吐き出してしまう。彼女は人間の血でしか生きていけない身体だった。「私の事好き?女の子じゃなくても?」 オスカーとエリには大きな壁がある。それでも二人は交流しあい、心を通わせていく。
・・・続きはDVDで。


感想
こう言っていいのかわからないけど、素晴らしい吸血鬼モノ映画でした。こう言っていいかわからないというのは、この映画では別にエリのことを吸血鬼と言ってないからなんです。確かに一度オスカーに聞かれますが、血を飲んで生きていると言うだけで、肯定はしません。エリはいたって世間一般にいる普通の人間として表現されていて、その中で他人と違う特徴があり、それゆえに苦悩する。そう描かれています。
その異質な特徴ゆえに苦悩するといった部分では、似たような話で『第9地区』(過去記事)がありました。あの映画も宇宙人が南アに流れ込み差別の対象となり、まさしく人間の難民と差異のない描かれ方をしていました。それと似たようなスタンスです。
そうすることによって、吸血鬼という半ばご都合主義になりかねない存在を、よりリアルでドラマ性溢れる存在に昇華することに成功していると思いました。ご都合主義っていうのは例えば『トワイライト』的なホントどうでもいい吸血鬼モノ、言い換えれば吸血鬼としての意味が全くないもの、吸血鬼を単なる記号として扱っているものです。まあ引き合いに出すほどの映画でもないですけど。
要するに、吸血鬼としての負の部分。それを丁寧に丹念に描くことによって、非常に切なくて、ほんっとに心が動くラブストーリーになってます。

ただし、個人的には非常に不可解な場面がありました。それは、エリの素っ裸の股間が移るカットです。オスカーが覗きを行ってエリの裸を見てしまうシーンなんですが、ぼかしがかかってるんですね。これはわしは原作を読んでいないからハッキリしたことはわからないが、おそらく去勢した痕が残ってたんでしょう。エリは劇中何度も女の子じゃあないと言ってました。だからおそらく、あのカットではチンチンを切った痕が映ってたんです。要するに女じゃないよと。でも、ここにぼかしをかけると、曖昧になってしまうんですよ。男か女かハッキリしない、というよりも、それを描かないでおくということになってしまいます。触れないでおくという。作品のテーマを語っているほど重要なシーンなんですが、これでは内容がガラッと改変されているようなものです。しかも、邦題で『200歳の少女』ってなってますから、この日本版ではエリは「女の子」ということになってしまうんですよ。
おそらく原作、というか劇場版ではぼかしもないだろうから、少女じゃあないんでしょう。それはオスカーとエリの間にある乗り越えなくてはいけない障壁の一つなんだろうし、性別を超えてしまうほどの精神的な愛を描いてるはずです。無論、その精神的な愛が本当に存在するかは別ですよ。それは彼らのこれからを観なければ表現できないこともありますし、そこまで描いてないですから。あくまで映画のテーマとして、様々な障壁を乗り越える愛、というのを描いてるんです。


撮影
そしてなにより、映像が美しいと感じました。これはベタな誉め方をしてるわけではないよ。本当にうまい撮影だったということ。『北の国から』を思い出しましたよ(雪もあることだし)。外のシーンじゃなくてもです。例えば、室内の何でもないシーン。エリのパートナーがハイスクールに行って一仕事するとき、失敗して隠れます。その時、画面右に生徒たちが入ってきてて、壁を挟んで左にパートナーが映ってる。それをパンフォーカス(画面全体に焦点が合ってること)で撮っている。もう一つ、オスカーと母親のシーンでも同じ構図がありました。画面右にオスカーが口パクしてて、壁を挟んで左に母親が喋ってるのをパンフォーカスで。こういう何でもないシーンも、とても面白く撮れていたと思います。
学校のシーンで先生が生徒に話すシーンも特徴的でした。カメラは先生の頭の後ろから回して、生徒ほぼ全員を画角に入れてる。そこで客はオスカーを探します。でもいない。先生が話終わると、生徒が一斉に立ち上がり教室から出る。そして先生も動く。すると先生の陰になって隠れてたオスカーがカメラに入る。客はそこにいたのかと気付く。この意外性。非常にうまいと思いました。
全体的に撮影は、今流行りのグラグラ揺らすというようなことはせず、定点カメラの非常に落ち着いた映像でした。グラグラ揺らすのと違いこういう撮影はごまかしがきかないぶん、カメラマンの腕と監督の演出力がもろに出てしまうものですが、全く見事なものだったと思います。

それともう一つ、あのいじめっ子、ものすごい良かったです。あの目つき最高でした。これはいい悪役になりそう。にしても今の子役ってすごいね。ウルトラマンとか見てるとその差が顕著で・・・。まあでも以前邦画で紹介した『ぼくとママの黄色い自転車』(過去記事)も酷かったが・・・。演出もあるんだけどね。


言葉や文化の違い、人種の違い、あるいは宗教の違い。それでも乗り越えて交流していかなければならないこともある。ときれいにまとめてみましたが、それ以上に素晴らしい映画なので、ぜひ観てください。ただし日本でよくやってるお子ちゃま向け恋愛映画と違い、説明的な台詞もご都合主義的な設定もありませんし、映像も淡々として落ち着いていますので、みんなでわいわいパーっとハッピー!! っていうのが好きな人は心を入れ替えてご覧下さい。


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札幌在住。おとこ。
ボケ防止でブログ開始。
ボケ担当。
学校で映画を勉強。
でもブログは好き勝手書くよ。
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